じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

長男に「ナチスって何?」と尋ねられた。

1月17日。
阪神淡路大震災から、21年目。
ニュースによると、震災が採りあげられる機会が、昨年、20年を期に、かなり減ってきているそうだ。
風化させてはいけない、というのと、忘れていくのもまた、ひとつの生きていく方便なのかもしれない、というのと。
でも、僕が知っている震災を実際に体験した人たちは、けっして忘れることはないのだろうな。

朝から出かけて買い物などをして、お昼過ぎに帰宅。
車の中で、お寺の地図記号の「卍」がナチスハーケンクロイツと似ていることに外国人は悪い印象を持つらしい、とy嫁と話していた。
すると息子が「ナチスって、何?」と尋ねてきて、どう説明したものか、一瞬言葉に詰まってしまった。
とりあえず、「今から70年前、ドイツで悪いことをした人たち」だと説明し、「悪いこと」って?という問いには「罪もない人をつかまえたり、殺したり、他の国と戦争をしたり……」と。
そんな単純な話なのか、と歴史を学んできた人間としては、自問自答してしまうのだが。
僕が生まれたとき、戦争が終わってから四半世紀が経っていた。
僕の父親は直接従軍した世代ではないが、戦後の飢えは記憶していたし、父方の祖父は「戦争に行って帰ってきた」人だ。
僕自身にとっての太平洋戦争というのは、生まれた時点から「まだ歴史になりきれていない、歴史年表の端っこ」みたいなものだった。
僕は2つの震災をリアルタイムでメディア越しに「体験」してきたけれど、長男や次男にとっての阪神淡路大震災との距離は、僕と太平洋戦争と同じくらいなのかもしれない。
そのくらいなら、まだ「空気感」は残っているし、身近な人から体験談を聞くこともできるだろう。
でも、生まれる60年以上前となると、僕にとっては第一次世界大戦勃発よりも昔のことなのだから、「現実感」がないのも仕方が無いよなあ。
人に寿命があるかぎり、どんな大きな出来事でも「風化」していくのだ。
長男は、もう少し大きくなって、ナチスのことを詳しく学んだとき、どう思うだろうか。

夕方から当直。例のごとく非常につらかった。
最近、ちょっと当直のキツさがマシになったのではないか、と言い合っていたのだが、寒くなると、どうもダメらしい。というか、なぜそんな前から具合悪かったのに、日曜日の夜になって……というのが続くと、気が滅入る。
真田丸』観たかったなあ、と思うが、明日、家に帰ってからの楽しみに。
どんなひどい当直でも、天目山の武田勝頼に比べればマシだ、たぶん。