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じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

雨宮まみさんの訃報と「40歳」に思う。

比較的のんびりとした一日。
夕方、ネットで雨宮まみさんの訃報を知った。
まだ40歳だったのに。
その後、雨宮さんが先日書いていた「40歳がくる!」という文章を読み返した。


大和書房・WEB連載MOB〜40歳がくる! 雨宮 まみ vol01


僕はいま40代半ばまでやってきたのだが、なんだか40歳になるとき、そして、40歳になってから、ずっと背水の陣を敷いて戦い続けているような気がしている。
40歳というのは、「人生の折り返し点を過ぎてしまった」ことを認めざるをえない年齢であり、仕事では、自分の人生の「到達点」みたいなものがイヤでもわかってしまう。
何か新しいことをやるにはリスクが高いが、現状維持で(それも難しいのだが)死ぬまでやり過ごすには、想定される残り時間はちょっと長すぎる。
隠居したり出家したりできればいいが、僕の場合は子どももいる。いや、いてくれる。
正直、そういう「現実とつながっている命綱」みたいなものがなかったら、自分はどうするだろう、とか考えてしまうところもある。
老眼が出てきて、眼鏡の度数を下げた。
なんか体調いまひとつだな、という状態が「ふつう」になった。
まだ、人生やり直せる、と言うのは「希望」なのだと思っていたけれど、そういう希望があるような気がするというのは、かえって残酷なのではないのか。

震災の影響で引っ越した先でいじめられていた子どもが「震災でいっぱい死んだから僕は生きる」と書いていたのを知って、ひとりで少し泣いた。
自分が生きる理由を他者に求めるべきではない、とは思う。
だが、そうせずにはいられないときも、あるのだ。

とりあえず、雨宮さんが苦しみから自由になれていたら良いのだが。
でも、雨宮さんのようなスタイルの書き手は、自分のなかの苦しみを精製して、文章をつくりあげていくしかないのだよなあ。
書くことで救われるところと、書くために向き合わざるをえなくなってしまうところ。
痛みとか苦しみがなければ無条件に幸せなのか、というと、たぶん、そうとも限らないのだろう。


寝る前に『アメトーク』の『情熱○陸』芸人を観た。
あの番組を観ると、僕も『情熱大陸ごっこ』をこっそりと心の中でやりたくなってしまう。
だが、小栗旬さんの話を聞いていると、ずっと密着している人がいるというのは、その人の「日常」を変えてしまってもいるのだよなあ。
ドキュメンタリーというのは難しい。


西武からFA宣言した岸孝之投手は楽天への移籍がほぼ確実になった。
僕は地元を持たない人間なので、故郷への思いとかいうのはよくわからないというか、長年プロ野球選手としてみんなに応援してもらったチームが「故郷」みたいなものではないのか、と疑問ではある。
あの震災のことを考えると、東北のために自分ができることをしておきたい気持ちも想像はできるのだが。
それにしても、西武は日本ハムと並んで、人が出て行くチームだよなあ。


女子をこじらせて

女子をこじらせて