帰ってくるのが遅くなったのだが、『カンブリア宮殿』で、訪問での看取り医療を推進している「やまと診療所」が採りあげられていた。
安井先生って、東大理3なのか……頭良さそうだものなあ。
「ひとことで言うと、『家で死ぬ』ということです」
ああ、弁も立つ。
こういう医療ができるようになったのは、医療のIT化が進んできたからなのだろうし、訪問医療の最中も、医師助手がずっとパソコンでカルテを入力していて、アメリカっぽいなあ、と思いながら観ていた。
日本だったら(というか、やまと診療所も日本なのだけれど)、カルテは医者が自分で責任を持って書け、と言われていたし(僕も若い研修医にはそう言っていた)、医療器具のセッティングも看護師さんじゃないと、ということになりがちだから。
しかし、そうやって診療以外の仕事を極力減らしたとしても、4人の医師で24時間対応、年間130人をこえる看取りというのは、かなりキツそうだ。
一人あたり、30人以上、月に2〜3人以上の看取りをやっているのか。
いや、市中病院でも、そのくらいの数になることは珍しくないのだけれど、この診療所の場合は訪問診療だから、家まで行かないといけないし、人はみんな安らかに亡くなっていくとはかぎらない。苦しんでいるとか、血を吐いたとか、家族があわてて連絡してくることは、看取りの何倍もあるだろう。病院に入院中であれば、電話で指示すれば済むことでも、自宅だとそうはいくまい。
働いている医者は、理想のためには自分の時間は無くてもいい、という生活なんだろうな。
番組内では、そういうスタッフの側の状況はあまり出てこなかったけれど。
正直、人間の死というのは、その場に立ち会うだけでも(当直先での初対面の患者さんの死でさえも)、かなり消耗するものだと僕は思う。
もちろん、慣れるところはあるのだけれど、慣れてきたことを自覚するのも、なかなかキツいものだ。
ただ、「自宅で過ごしたい」というのは僕にも理解できるし、「朝むりやり起こされ、食べたくもないのに8時に食事が出てきて、残すとあれこれ言われるのはつらい」というのは、たしかに僕もそう感じると思う。治る病気を治すためならともかく、末期がんであれば、なおさらもう少し自由に、というか、制限されたくないよね。
病院というのは、大きくなればなるほど、どうしても、「効率重視」にならざるをえないところもあるのだ。
とはいえ、家族の負担というのもあって、末期がんの人が自宅で生活するためには、少なくとも誰かひとりは中心になって自分の時間を介護に使う人が必要になる。
病院で死のうにもベッドが足りない、家で死のうにも、人が足りない。
もちろん、選択肢は多いにこしたことはないのだけれど、僕は正直、あれができるのは、安井先生がスーパードクターだからだよなあ、と、ただ感心するだけだった。
25時に就寝。
- 作者: 村上龍,テレビ東京報道局
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