じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

『しくじり先生』に、マラソンランナーの瀬古利彦さんが登場

 『しくじり先生』に、マラソンランナーの瀬古利彦さんが登場。
 瀬古さんも、もう60歳か……
 瀬古さんは男子では、日本最強のランナーだったと今でも思う。
 ロサンゼルスオリンピックの男子マラソンのとき、家族旅行に出かけていたのだが、瀬古の結果が気になって、ホテルのフロントの人に「瀬古、どうでした?」と聞いたことがある。
 「勝ちましたよ!」と返ってくるものだとばかり思っていたら、「いや、ダメだったみたいです……」という答えで、驚いてしまった。
 まさか、メダルにも届かない、二桁順位の惨敗とは。
 当時はみんな携帯電話なんて持っていない時代で、スポーツの結果はニュースを見るか誰かに聞くかしかなかったのだ。
 今なら、スマートフォンでリアルタイムに経過を追うこともできるのだけれど。
 あれから30年以上経っても、あの日のやりとりを覚えているというのは、当時の僕にとっては、けっこう衝撃的な出来事だったのだよなあ。
 そもそも、ホテルのフロントの人に自分から話しかける、なんてことが珍しく、そのくらい結果が気になってもいたのだ。


 瀬古さんって、ものすごく真面目なイメージがあって、真面目すぎてオリンピックのプレッシャーで結果を出せなかったのかと思っていたけれど、こうして話を聞いてみると、けっこうくだけた人なんだな。
 初対面での中村監督の行動:砂を食べまくる、って……
 あと、宗兄弟の「出た!」感は、いったい何なのだろう。なんかボスキャラ的、なんだよね。二人いるから?


 今、あらためて考えてみると、モスクワオリンピックのボイコットは、瀬古さんにとって大きかったよなあ。あのときが、いちばん優勝に近かったのかもしれない。浅田真央選手が年齢制限で出られなかったときも、出場できていれば、あのとき、金メダルを取れたのではなかろうか。
 ロサンゼルスオリンピックは、東側(社会主義国側)の選手たち不在での大会で、選手としては、モチベーションが保ちにくい大会だっただろうし。
 それにしても、2週間前に血尿とは……そりゃ無理だ、というか、完走しただけでもすごい。


 瀬古さんと村上春樹さんが友達って話は、はじめて聞いた。
 でも、マラソンが趣味の村上さんにとっては、憧れのランナーでもあるよね、きっと。

 そういえば、瀬古の全盛期は、日曜日にマラソン中継を観るのが、けっこう楽しみだったなあ。

 瀬古さんへの家族からの金メダル、観ていて泣いた。
「うまくいかないのが人生」


走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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