明日からの学会に出席するため東京へ。
夕方に到着したのだが、明日観に行こうと思っていた国立新美術館の『ミュシャ展』が、金曜日は20時までやっているというのを知って、東京駅から地下鉄で乃木坂駅へ。
おお、乃木坂!46いるかな!とか、メンバーの名前もよく知らないのにちょっとワクワクしてしまう。
新美術館では、『ミュシャ展』と重なって『草間彌生展』も開催されていて、両方観ることも考えてみたのだが、九州から来てけっこう疲れを感じていたこともあり、今回は『ミュシャ展』だけにした。チケット売り場では、ミュシャ展と草間彌生展が半分ずつ売れていた、という感じ。
それにしても、イレギュラーな夜間開催でも、東京の美術館にはけっこう人がいるものだな。以前、兵庫県立美術館の『ポンペイの壁画展』に行ったときには、閑散としていて、せっかく時間を延長しているのに、観に来る人の習慣というのは変わらないものなのかな、と思ったので。
これは、東京だからなのか、それとも、展覧会のテーマや内容の問題なのか。
正直、『ポンペイの壁画展』は、あんまり面白くはなかったけどさ。
『ミュシャ展』の目玉である全20作の大作『スラヴ叙事詩』なのだが、僕は「予習」した際に、正直、『ミュシャが民族主義に目覚めた晩年に描いた、古くさくてミュシャらしくない作品群』だと思っていた。
本人の思い入れだけで、一般的にはあまり評価されていない作品だとも。
しかしながら、「本物」を観て、圧倒された。
これは……デカい!!
宗教画みたいだし、僕には絵の上手い下手はあまりわからないのだけれど、ちょっと離れないと全体像がわからないほど大きな絵ばかりなのだ。
細かいところをみるために、オペラグラスを構えている人も少なからずいた。
そして、「ミュシャは平和主義者で」と説明されているのだが、絵には戦争の場面や遺体がゴロゴロしているものが多い。
戦争の悲惨さを訴えた、ということなのだろうけど、こういうのを描くのも気が滅入るだろうなあ、というのも少なからずあった。
『スラヴ叙事詩』のあと、ミュシャのキャリアの前半のサラ・ベルナールの洒脱なポスターをみると、ミュシャが得意なものと、ミュシャが描きたいものとは違っていたのかもしれないなあ、なんてことも考えてしまうのだ。
この展覧会でも写真撮影コーナーが設けられていて、『スラヴ叙事詩』の一部の作品が撮影OKになっていた。
フラッシュを使わないデジカメでの撮影で絵が劣化するとは思えないし、宣伝のためには有効なのだろう。
ただ、撮影する人が多いと、自分が邪魔になっていないか気になるし、撮れるとなると、すぐ目の前に実物があるのに、「見る」より「撮る」ことばかりになってしまいがち。
「撮ったものを見る」のなら、画集なりインターネットなりで、絵の写真をみれば済むだけなんだけどねえ。
あまり期待していなかった『スラヴ叙事詩』だけれど、写真で観ただけでは、あの大きさは伝わりようがない。
とりあえず、観ておいて損はなかったと思う。
思っていたより面白い展覧会だったな、と満足しつつ宿泊先に向かったのだが、ちょうど金曜日夜のラッシュの時間帯で、15分くらいの乗車時間にもかかわらず、疲労困憊。こんなのに毎日往復1時間ずつとか乗るのかよ……
押してくる人、割り込んでくる人はいるし、スリや痴漢がいても、どうしていいのかわからないよなこれでは。
夕食を摂って、ホテルの部屋でネット動画などを観つつ、25時に就寝。
明日は仕事だ。本当に。
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