じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「村上春樹に小説を書かせた男」ヒルトン選手の訃報

 連休明けの火曜日。
 休み明けは、回診するのもなんとなく腰が重くなる。
 当番だったので、少し遅くまで仕事をしてから帰宅。
 
 昨日のカープのビールかけを録画で観ていたのだが、いい大人がこうしてバカバカしいことをプレッシャーから解放されてやっているのは、なんだかとても微笑ましく、うらやましいなあ、なんて思う。こういうときには、なんとなく人柄を感じることもあって、インタビューを受けていた九里投手にビールをかけに緒方監督がやってきたり(九里投手の努力を監督はずっと評価していたし、先発から中継ぎ、ロングリリーフといろんな役割を引き受けてきた九里を労いたかったのだと思う)、ビールを浴びせられながら仁王立ちしていた新井さんが、バティスタ選手の肩を抱いて、カメラの前に呼び寄せていたのも印象的だった。
 二軍から上がってきた選手や新戦力が、チームを救う活躍をするのは、新井さんや菊池選手のように、まだ慣れない環境にいる選手を精神的にケアするベテランや中堅選手がいるからなんだろうな。
 観ながら、人生って、ビールかけのある人生と、ない人生に二分されるのではないか、なんてことを考えて、ちょっとせつなくなった。
 こうやって優勝チームの選手たちが喜びを弾けさせているのを観るのは、ひとつの代償行為なのだよね。贔屓のチームの選手たちなら、なおさら。
 夜、元ヤクルトのヒルトン選手の訃報を知った。享年67歳。
 身体を小さく屈めてバッターボックスに立っている姿が記憶に残っていて、なんでわざわざあんな窮屈な姿勢で打つのだろう、と思っていたんだよなあ。当時はみんな真似していたものだ。
 ヒルトン選手といえば、ヤクルトファンで知られる村上春樹さんが「小説を書こうと思い立ったのは、1978年4月の神宮球場でのセ・リーグ開幕戦でヒルトンが二塁打を打った瞬間だった」と書いていたのを思い出す。
 ヒルトン選手がいなかったら、小説家・村上春樹も存在しなかったかもしれない。

 25時くらいに就寝。


職業としての小説家 (新潮文庫)

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