じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

『グリーンブック』の「のどごしが良すぎる人種差別映画」問題

 平日休み。
 少し体調も良くなったので、郵便局で用事を済ませ、朝から映画『グリーンブック』を観に行った。
 黒人の天才ピアニストと、彼の南部への演奏旅行に「トラブル解決のスペシャリスト」として雇われた白人のクラブ用心棒とが、一緒に旅をするうちに、お互いを理解し、打ち解けていく様子を描いた作品なのだが、観終えて、「差別」がテーマのはずなのに、ものすごく後味が良い「すばらしい映画!」だったことに驚いた。これはアカデミー作品賞も納得だなあ、などと思いながら家路についたのだが、あらためて考えてみると、このテーマで、こんなにのどごしが良い、ということそのものが、この映画の「問題点」であるのかもしれない。
 ただ、劇中で僕がいちばん印象に残ったのは、天才ピアニスト、ドン・シャーリーが黒人であるという理由で差別をされたシーンではなく、南部の牧場を通った際に、農場の黒人労働者たちがなんともいえない表情で彼を見つめるシーンだった。
 ドン・シャーリーは、その才能と知性で、少なくとも北部では「名誉白人」的な扱いをインテリ層には受けているのだけれども、それは彼自身にとっては、白人でも黒人でもない、宙ぶらりんな状態に置かれていることでもあるのだ。白人からは「でもやっぱり黒人」と言われ、黒人からは、「あいつは自分たちとは違う世界の人間だ」と思われる。「孤高のアーティスト」は、「孤独であることを隠すための体面」だったのだろうか。同じ人種のみんなと一緒に差別されるのと、「お前だけは別」と言われるのと、どちらが幸せなのか、居心地が良いのか。人生で、中途半端に成り上がってしまうと、そういう孤独な場所に置き去りにされることがある。
 あと、差別をする側も、「長年の伝統」とか、「自分としては本意ではないのだけれど、ここはトラブルにならないために我慢してほしい」などというような「現状を自分が変えることへの不安や責任逃れ」で差別を続けていた人が少なからずいた、というか、そういう消極的な理由の人が多かった、という感じがした。
 自分が糾弾されたくないから、人種差別に加担する、というような。いじめと同じ構造だよなあ。
 
 現実に大部分の黒人に南部で行われていた差別に比べたら、「綺麗すぎる人種差別映画」なのかもしれないが、この「綺麗な差別」みたいなものは、人種問題に限らず、現代にも受け継がれている、というメッセージでもあるような気がする。

 ところで、このトニー・リップ役って、ヴィーゴ・モーテンセンだったのか!『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンと同じ人だとは思えない……


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