じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

つかみどころがない良血馬だった、キングヘイローの思い出

 キングヘイロー逝去。
 24歳というのは、馬としては寿命といってよい年齢ではあるけれど、こうして思い出の馬たちが去っていくのは寂しいものではある。
 キングヘイローといえば、父・ダンシングブレーヴ、母・グッバイヘイローという世界的な良血で、期待されて3歳クラシックに挑み、皐月賞セイウンスカイの2着。血統的にも、脚質的にも、距離が伸びる府中のダービー向き、だと思ったのだが……
 まだ若手だった福永祐一鞍上のキングヘイローがいきなり先頭に立ったときには、「なんだこれは」と絶句したものだ。いや、これをきっかけに、秘められていた逃げ馬としての才能が開花するかも……しないよねそりゃ。僕の馬券は紙くずになり、福永祐一への恨み節ばかりが、口をついて出てきた。いくらなんでも、ここでいきなり「逃げ」はないだろ……ちなみに、勝ったのは武豊騎手のスペシャルウィーク武豊、初めてのダービー制覇だった。
 キングヘイローは不思議な馬で、血統的にはスタミナが十分ありそうだったのだけれど、ダービーのように折り合いを欠くこともあれば、菊花賞有馬記念のような長距離レースで、最後に追い込んできて入着することもあった。唯一G1を勝ったのが高松宮記念だったのだが、キングヘイローはスプリンターというイメージの馬ではなかったし、逆に、「キングヘイローみたいな馬が勝つG1が高松宮記念」という感じだった。
 種牡馬になってからも、カワカミプリンセスローレルゲレイロといったG1馬を出し、それなりに活躍をしていたというか、「期待ほどではないけれど、期待外れ、と言い切れるほどひどくはない」といった馬生だったように思う。そういう馬こそ、見ている側からすれば、心に残るものではあるのだが。
 キングヘイローは、あの福永祐一騎手がワグネリアンでついにダービーを勝ったのを見届けたように逝ってしまった、ような気がする。
 昔の競馬を語るとき、人はみな遠い目をするけれど、キングヘイローは僕よりずっと後に生まれて、馬としての寿命をまっとうして死んでいったわけで、あちらからすれば、僕のほうがよっぽどおっさんだったにちがいない。神というものがいるのなら、きっと、僕が馬たちの生と死を見届けたような気分になっているのと同じように、人間という長くは生きられない存在を見守っているのだろう。