じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

『真田丸』第38回「昌幸」で、堺雅人さんの表情をずっと見ていた。

マツダスタジアムでの広島対ヤクルトは倉、廣瀬両選手の引退試合
廣瀬選手のお子さんが始球式をして、キャッチャー・倉がピッチャー・黒田の球を受ける。
マツダスタジアムでは、最初で最後の黄金バッテリー。
先頭打者にストレートのフォアボールを出した時点で、倉はお役御免となり、石原に代わったのだが、なんとこの試合、1回表2アウト3塁の時点で、降雨ノーゲームとなってしまった。
中止決定後、倉選手は、ベースを一周して、ホームにヘッドスライディングしたそうだ。
結局、「記録に残らない引退試合」になってしまったのだなあ(現時点では、倉選手は今後の試合には出場予定はないとのこと)。
寂しい気もするが、これはこれで、「記録より記憶に残る引退試合」ではある。

パリーグの優勝争いは、日本ハムが延長11回サヨナラ勝ち、ソフトバンクは西武に敗れ、日本ハムのマジック3。これはさすがに大勢決したか、と思われるがどうか。

競馬は神戸新聞杯ではサトノダイヤモンドオールカマーでもゴールドアクターがそれぞれ人気に応えた。対抗馬と目されていたエアスピエルは後方待機から最後もあまり目立った脚は使えず、宝塚記念を制したマリアライトは直線で最後はジリジリ伸びるも突き抜ける感じもなく、それぞれなんとか掲示板、という内容だった。
新興勢力では、神戸新聞杯のミッキーロケットがかなりサトノダイヤモンドに食い下がっていて、力をつけているようにみえた。ただし、キングカメハメハ産駒だし、今回は夏場に使っている強みもあるので、距離が伸びる菊花賞で逆転、というイメージはあまり湧かないなあ。

真田丸』は、関ヶ原が終わったと思ったら、10年間が1話で真田昌幸、逝去。
予告で知ってはいたけれど、このドラマの「核」が昌幸であったことは間違いないわけで、寂しい。
昌幸亡きあとの真田信繁は、大坂の陣に、つまり、終焉に向かっていくしかない。
昌幸が臨終を前に信繁に「徳川を倒すための唯一の作戦」を語る場面で、信繁を演じている堺雅人さんの表情を観ていたら、なんだかすごくせつなくなった。
信繁は父のことを信頼、ある意味、信仰していたのだけれど、九度山に蟄居させられている状況でも「家康打倒」への執念を燃やしていた昌幸を、どんな気持ちでみていたのだろうか。
さすがは父上、と、その遺志を継ぐために一言一句漏らさずに聞き取ろうとしていたのか、それとも、「この状況では、さすがにそれは夢物語だろう」と思いつつ、父の遺言を熱心に記憶するふりをしながら、聞き流していたのか。
堺雅人さんの優しくて無色透明な表情は「復讐への決意」ではなく、もう、これで因縁を終わらせても良いのではないか、という「慈愛」だったようにもみえた。
もちろん、三谷幸喜さんや堺雅人さんの「意図」はわかっても、歴史における真田信繁のその時の心中は、誰にもわからないのだけれども。


昌幸の遺志がなければ、信繁は大坂に出陣しただろうか。
あのまま九度山でおとなしくしていれば、信繁の代では無理でも、いずれは、子孫が信之の真田家の家臣になることくらいは許されたかもしれない。
そうやって「生き延びる」ことと、「真田日本一の兵」と語り継がれる奮戦を残して滅びることと、どちらが幸せだったのだろう。


真田昌幸という人は、その生涯において、戦に強く、さまざまな謀略も成功させてきた。
にもかかわらず、関ヶ原で西軍についたばかりに、自分の戦場では徳川秀忠の大軍を引き留め、関ヶ原に間に合わなくするという大きな功績をあげたにもかかわらず、蟄居生活のまま晩年を過ごすことになってしまった。
たった一度の選択ミス、か……
人生というのは難しいな、と思わずにはいられない。


26時に就寝。


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