じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

『24時間テレビ』の観かたで、日本という国のこの40年間の変化を考えた。

 8月最後の土曜日。
 仕事を終えて帰ってきたら、ものすごく眠くなってしまい、しばらく仮眠。
 目を覚ますと、もう20時を過ぎていた。
 そういえば、当日発表という話だった『24時間テレビ』のマラソンランナーは誰になったのだろうな、と気になって確認してみると、ちょうどランナー発表の場面(と見せかけて「発表はCMのあとで」だったけど)。
 発表されたランナーは、「ブルゾンちえみ」さん。
 高校時代陸上部で長距離をやっていたとのことなのだが、当時の写真をみて、運動部女子っぽいな、と、現在との違いにちょっと驚いた。
 「走る理由のある人です」とさんざん言われていたので、何か不祥事を起こした人なのかな、と予想していたが、そういう意味では予想外であり、人選としては想定内ではある。
 「夢を諦めようとしている人に、もう一踏ん張り」というような話だったけれど、なんだかぼんやりとした「理由」で、まあ正直、「走る理由」というよりは、「そこそこ下準備をしていて、走れるだけの体力がありそうな人」ということだったのではないかと思う。走る理由なら、宮迫さんとかのほうが「禊」的な要素はあるかもしれないが、治療後で体力的に厳しいだろうし。ベッキーさんとか、こういう企画に良いんじゃないかと思うんだけれど。
 僕が子供の頃は、テレビは夜になったら放送が終わってしまうし、ビデオデッキも普及しておらず、テレビゲームもなかったので、どんな番組であれ、一日中テレビで何かをやっている、ということそのものが新鮮だった。
 手塚治虫スペシャルアニメとかもあったし。
『フウムーン』『ブレーメン4』あたりは、けっこう記憶に残っている。
 一時期、『24時間テレビ』は、偽善だと不快に感じてもいたのだが、最近は、一周まわってというか、まあ、一年に一度くらい、「チャリティ」という言葉を思い出してみるのも悪くないのかな、と思う。
 そりゃ、制作費を全部寄付したほうが金額的には大きくなるだろうけど、社会に啓蒙する、という意味もあるのだろうし。
 しかし、この40年間で、日本のムードみたいなものは、だいぶ変わったよなあ。
 初期の頃の『24時間テレビ』を観ていた大部分の日本人には「世界のなかで、恵まれているわたしたち」という意識があって、「恵まれない人たち」のために、何かをやるべきではないか、という提案がスッと入ってきたような気がする。
 でも、いまは「こっちだって、そんなに恵まれているわけじゃないんだよ」って声が、あちこちから聞こえてくるのだ。
 右肩上がりだった国と、どこまで続くかわからない、ゆるやかな下り坂を歩き続けている国。「恵まれていない国」は確かにあるのだとしても、むしろ、新興国の勢いに押されているようにも感じる。
 ネットで「感動の裏側」も暴露される時代だし。
 最近の24時間テレビは、むしろ、「感動を押し売りして、視聴者にツッコミを入れられるまでをワンセット」にしているようにさえみえる。リアリティショー化している、というか。
 マラソンも、「もうやめたら」なんてさんざん言われつつも、発表されたら即座にヤフーニュースのトップに出て、結局、「注目のネタ」にはなっているのだ。
 とりあえず僕にとって、近年の『24時間テレビ』は、「どうせ観ないから、気にならない」という存在だ。

 25時に就寝。


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