じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

翁長知事の死を「天罰だ」と快哉を叫んでいる人たちに呆れた。

 今日は朝からやたらと忙しかった。
 なんなんだこれは、と思っていたら、世間的にはもうお盆前の準備期間に入っているみたいだ。自分の職場にお盆休みがないと、そういうことはすっかり忘れてしまうものだなあ。
 もうだいぶ昔の話になるけれど、大学で研修をしていた頃は、8月15日だけが休みだったのだが、13日や14日は予定入院もなく、研修医たちが控室に集まって、こうしてみんなで顔を合わせるのは久しぶりだね、なんて言い合っていたものだ。どうせなら休みにすればいいのに、とか言っていると急患が来るので、「ヒマだ」とは言わないのが暗黙の諒解だった。

 沖縄県の翁長知事の病状が悪化して執務が困難となり、副知事が職務を代行する、というニュースを観た数時間後、亡くなられたことが発表された。
 驚いたというか呆れたのは、Twitterで翁長知事の死を「天罰だ」とか言って快哉を叫んでいる人がいて、それが僕のタイムラインにもリツイートされてきたことだった。
 選挙で選ばれ、公約を守ろうとした地方自治体の首長が病気で死ぬことが「天罰」なわけないだろう。そんなの不運とか残念以外の何物でもない。もちろん、生活習慣や遺伝的な要因も多少は関係あるかもしれないが、それは「天罰」とは違う。
 僕は亡くなった人を大勢みてきたけれど、良い人だから長生きするとか人生を全うして死ぬ、ということはないし、逆もまた然りだ。
 もし自分が、ただでさえ病気でつらいのに、「天罰だ」とか言われたら、あるいは、亡くなった人の遺族だったら、と想像することはないのだろうか。もし病気が天罰だというのなら、僕は天など信じないし、信じる必要も感じない。
 病気で死ぬ、ということは、基本的に無慈悲なくじ引きのようなものであり、人は必ず死ぬということにおいては、容赦なく平等だ。

 翁長知事の御冥福を心より祈ります。
 身体はきつかっただろうし、心残りもたくさんあったと思うけれど、最後まで自分の務めをやりぬこうとしたことに謹んで敬意を表します。

 インターネットは、人間を厚顔無恥にしているのではないか、何にでも関われるように思い込むことで、かえって想像力を低下させているのではないか。
 これは、他人事ではないのだけれども。
 僕だって、つい、こういうきれいごとを書いてしまうのだから。


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まっぷる 沖縄'19

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