じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

われわれは、いろんな「気にしないようにしていたこと」が、気になるようになってしまった。

 緊急事態宣言下生活が続いている。僕のようなインドア人間にとっては、そんなに苦痛にならないな、と思っていたのだが、なんだか毎朝起きるのがものすごく面倒だし、何もしたくない、という気分がコロナ前の5割増しくらいになっている。せっかく家にいる時間が長いのだから、積みまくっていたゲームを消化したり、読んでいなかった古典的な名作映画や本に挑戦しよう、と思うのだけれど、とにかく何もしたくない感じなのだ。YouTubeで見るともなく動画をザッピングしているうちに、時間が過ぎてしまっている。
 なんというか、生活に飽きているのだ。アウトドア派は本当につらいだろうし、戦時中の日常とかは、今よりもっときつかったのだよなあ。
 とりあえず競馬は無観客で続けてくれているので、皐月賞を観た。
 昨日の中山競馬場は、大雨の不良馬場のなかで、オジュウチョウサン中山グランドジャンプを5連覇し、その一方で、シングンマイケルが命を落とした。こんな馬場状態で競馬をやるからこうなった、と言うのは簡単だけれども、馬たちの安全を最優先に考えるのであれば、競馬なんてやらないほうが良いに決まっているわけで。

 昨日みたいなドロドロ馬場だと、何が来てもおかしくないな、と思っていたのだが、中継がはじまってみると、馬場状態は「稍重」とのこと。また馬券を売るための「重に限りなく近い稍重発表」なのかと思いきや、たしかに、昨日とは全然違う、「ふつうの稍重」という馬場状態になっていた。
 
 いくら強いとはいっても、今年に入って一度も走っていないのは不利ではないか、ということで、本命はサトノフラッグ。連軸としてはこれがいちばん安全だろう。
 ……と、思ったのだけれどもねえ。
 レースは、コントレイルの位置取りが後ろになり、包まれる形になって、「ああ、これは福永祐一が人気馬を飛ばす典型的なパターンだ」と確信したのだが、4コーナーで満を持して外から上がっていったサトノフラッグに並びかける白い帽子。1枠のもう一頭の馬かと思いきや、そこにいたのは、コントレイルだった。
 直線では、内からしぶとく食い下がるサリオスと外から伸びたコントレイルの見事な叩き合いになり、コントレイルが皐月賞馬に輝いた。休み明けの2歳G1勝ちの2頭での決着。サトノフラッグ本命としては不本意ではあるのだが、3強の枠連ボックスは抑えていたので馬券は当たった。いかにも荒れそうなレースほど、案外、人気サイドで決まるものだ、というのを先週の桜花賞に続いて思い知らされた。サトノフラッグはもうちょっとやれると予想していたのだが、強い馬が強いレースをして、馬券も当たれば、本命党の僕としては大満足で、2頭のゴールを見届けて、テレビに向かって拍手していた。これまでの春のG1の結果をみていると、無観客というのは、馬の精神状態が安定しやすく、けっこう人気サイドで決まりやすいのかもしれない。

 夜、やよい軒に行ったら、「ごはんおかわり処」がなくなっており、おかわりを店員さんに申告するシステムになっていた。漬物も瓶ごと持ってきてくれていたのが、料理と一緒に小皿に盛られる形式に(これも頼めばおかわり可)。営業時間も短縮されるとのこと。致し方ないことではあるのだけれど、コロナ感染防止のために緊急措置として行われていることの多くが、コロナの感染拡大が落ち着いたあとも、そのままになっていくのではないか、と最近思う。
 歓送迎会なんてめんどくさいし、リモートワークでも仕事の成果は変わらない。バイキング形式の食べ放題で他人と接触するのは、コロナに限らず、感染予防のために避けたほうが無難には違いない。われわれは、いろんな「気にしないようにしていたこと」が、気になるようになってしまった。
 新型コロナ以前と以後で、世界は、人間の価値観、他者との距離感は大きく変わるような気がする。
 
 最近読んだ本のなかで、ヨーロッパではペストの流行に対してキリスト教会が無力だったことで、人々の信仰心が薄れた、という説が紹介されていた。ペストやスペイン風邪の時代に比べれば、現在の人類の感染症への知見は進んでいるし、「何をやるべきか」もわかってはいるはずなのだけれど。
 コロナの話はもうウンザリ。でも、この状況では、他のことを考えようとしても、「やっぱり、コロナがなあ……」と頭に浮かんできてしまう。


感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

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