「昭和の日」で祝日。
例年なら、ここからゴールデンウィークだ、と浮かれ半分、始まったらもう終わりが近づいているってことだよな、と切なくなるのが半分なのだが、今年はとりあえず、ああ、仕事に行かなくて済むのだな、という感じだ。
いつも起きる時間に一度目が覚め、しばらく本を読んでいたのだが、また眠くなって起きたらお昼。
夕方は『餃子の王将』のテイクアウトにしたのだが、まだ早い時間にもかかわらず、テイクアウトの商品が置ききれないくらいレジの後ろに並んでいた。普段だったら作り立てを皿に盛って客に出すだけなのに、容器に入れてラップをかけて、レジでも商品に漏れがないか確認するというのは、けっこうな手間なのではないかと思う。それでも、大手チェーン店は、まだ売り上げがあるだけマシなのだろう。
まだ営業しているパチンコ屋がメディアで大々的に採り上げられ、知事から名前を公表されたり、抗議の電話がかかってきたりしているということだ。実際に行っている人たちの話をテレビのインタビューで聞くと、「どうせ一人暮らしで、やることもないから、コロナに感染しても諦める」と。多くの人は、パチンコ屋で感染が拡大していくことを恐れているのであって、客がその媒介になることを恐れているのだが、行っている本人には「みんなのために今は我慢する」という感覚がない。僕は誰かがそういう「自分も周りも大切にしない人生」を送っていることが、とても悲しく感じる。そして、「営業停止に協力を要請」という名目でありながら、わざわざ店名を公開し、「善良な市民」がその店を攻撃するのを期待している行政の狡さにも嫌気がさしている。感染予防のためにどうしても必要だと判断するのであれば、「名前を公開して、私刑を期待する」のではなく、行政の責任で営業停止にすべきではないのか。やるべきことをやって、悪者になる、あるいは責任を取ることこそ、公の役割ではないのか。
それで、何か不都合なことがあったら、「いや、我々は自粛を要請しただけですから、最終的にはお店の判断です」と言うのであれば、反社会勢力のやり口ではないのか。
そもそも、「自分なんてどうなっても良い」という人間は、リアルでも、ネット上でも強い。なんてゲスなヤツだ!と責められても、「どうせ私はゲスな人間だから、放っておいてください」と開き直られると、どうしようもないのだ。
岡村隆史さんは、自分のことを「ゲスな人間」と思っている人で、露悪的にふるまうことで多くの深夜放送のリスナーの共感を得てきた。深夜ラジオというのは、パーソナリティとリスナーが、「俺たちはどうしようもない人間だけど、なんとか明日も生きていようぜ」みたいなほの暗い共犯意識で成り立ってきたのだ。岡村さんは、自分自身で認識している「ゲスで、めんどくさい岡村隆史」と、社会でいつの間にか品行方正であることや好感度が求められている「スター・岡村隆史」のギャップにもどかしさを感じてきたようにもみえる。岡村さん自身は、いまパチンコ屋に並んでいる客と自分は似たような「ゲスな人間」だと思っているのではなかろうか。
今回の岡村さんの発言は、「笑い」にはつながらないし、弱っている人たちが望まぬ選択をするのを「楽しみにしている」というのは、あまりにもひどい(同じようなことを男だけの場で言う人が少なくないとしても)。
でも、僕は岡村さんには自暴自棄にならずに、ちゃんと謝って、ラジオで喋り続けてほしいと思っている。岡村さんはもともと立派な人間じゃない。だけど、自分の腹黒さをあえて口にしたり、病気になって休養したあと、矢部さんや周りの人のサポートを受けて立ち上がったりしてきた岡村さんのことが、僕はけっこう好きなのだ。岡村さんは今回の件で多くの人を傷つけたのかもしれない。それでも、岡村さんは、これまで、多くの人を勇気づけてきたはずだ。
悪いことは悪い。それは、どうしようもない。ただ、僕は岡村さんにこの失敗で消えてほしくはない。まあ、もともと嫌いな人の発言だったら、僕も尻馬に乗って、バンバン叩いていたかもしれないな、とも思うのだが。
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