じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「恵方巻なんて知らないよ」とみんな言っていたはずなのに、いつのまにか、けっこう浸透している。


 2月2日、節分。と言われてもあまり実感が湧かない。恵方巻の宣伝がなければ、いつのまにか2月3日になっていたのではなかろうか。

 恵方巻というのも、バレンタインデーと同じで、売る側がつくったイベントでしかない、というのは百も承知なのだが、僕は基本的に巻寿司が好きなので、大手を振って巻寿司がたくさん食べられる節分は嫌いじゃない。いや別に、普段から巻寿司を食べたって構わないのだが、コンビニなどではほとんど売ってないんだよなあ。回転寿司に行っても、せっかくだから原価が高そうな寿司を食べよう、と思ってしまうし。

 恵方巻なんて意味ないだろ、とみんな思っているはずなのに、コンビニやスーパーでの「恵方巻推し」は年々激しくなってきているようにみえる。そして、実際に恵方巻はけっこう売れてもいるのだ。近所のスシローの恵方巻の予約は、あっという間に締め切られていたし(スシローアプリ調べ)。
 思うに、現代人というのは、自分が好きなものを食べるられないとストレスを感じる一方で、自分で何を食べるか決め続けなければならないことにも、けっこう面倒くささがあるのではなかろうか。
 これが、高級フランス料理とか懐石料理のようなハードルも舌代も高いメニューならレコメンドに乗っかる人は少ないだろうけど、巻寿司なら値段も程よいくらいだし、「節分だから恵方巻」にしてしまえば、その日の夕食のメニューに悩む手間が省ける。とりあえず縁起物でもあるし。

 人間って、案外「誰かに決めてほしい」生き物なのではないか、とも思う。「恵方巻なんて知らないよ」とみんな言っていたはずなのに、いつのまにか、けっこう浸透しているものなあ。でも、切って食べたほうが美味しいし、あんまり具材が豪華だと、かえって「巻寿司らしくない」気もする。

 巻寿司と伊達巻きが、一年中コンビニで売られる世の中になってくれないものだろうか。どれだけ巻物好きなんだ、自分。

 たぶん、僕が生きているあいだに、2月2日が節分になることはないので、もうちょっと大事に過ごせばよかった、と寝る前に少し後悔した。
 そして、「どういうのが大事に過ごすことなのか」と、しばらく考えていたが、眠くなったので寝た。
 これから先、どんどん「人生最後」が増えていく。もっとも、2月2日の節分は、僕の子どもたちも機械の体が普及しないかぎり最後だろうけど。


fujipon.hatenablog.com