じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「投資はギャンブルじゃない」という人たちと「もっとも期待値の高いギャンブル」の話


 今日はIPOで当選したM&A総合研究所の上場日。とりあえずプラスにはなりそうな銘柄なので、初値売りをセットして仕事へ。
 とりあえず、5万円くらいプラスになってくれれば……と期待していたのだが、予想以上の高値で寄ってくれたようで、その倍くらいの臨時収入になった。まあ、別のところで、すさまじくマイナスになった株を損切りしたばかりなので、トータルで考えれば、そんなに儲かってもいないのだけれど。
 
 競馬とか株、とくにIPO(新規公開株式)の抽選に関しては、ずっと当たらずに、もうやめる、こんなの無理……と心がまさに折れようとしているときにかぎって、ラッキーパンチが当たってまたやる気を出してしまう、の繰り返し。人を依存させるシステムの恐ろしさ、だよなあ。冷静に考えると、「心が折れそうなときに奇跡の当選」というわけではなくて、ずっと心が折れていても、結局、何か当たるまでやめられなくて続けているだけ、なのかもしれないが。

 あと、6月の優待株を少し買った。これも、優待券をもらうよりも、配当が高い株を買って、その配当で好きなものを食べれば良いのだけどさ。優待券って、いまのキャッシュレスに移行しつつある日本社会では、使いにくいシチュエーションも多いし。
 ネットでは「優待券でタダで食事をすると優越感がある」と言う人もいるけれど、僕は日常生活で目立つというか、飲食店で「常連」扱いされるのさえ大の苦手なので、「これ使っていいですか」と尋ねるのがけっこうストレスなのだ。優越感など全くなくて、「めんどくさいけど使わないともったいない」というプレッシャーが大きい。なら優待株とか買うな、って話で終わってしまうんだけど。
 人は、自覚しないまま、高いお金を出してストレスを買ってしまう生きものなのかもしれない。

 ネットでは「投資信者」みたいな人を大量に見かけるのだが「投資はギャンブルじゃない」とか言っているのをみると、それはもう信仰ではないか、と思う。恐慌や戦争を経験せずに今まで生きてきたのは、個人レベルでは「幸運」以外のなにものでもない。ウクライナの人たちだって、大正時代の日本人だって、ほとんどは、近い将来に「こんなこと」になるとは予想していなかったはずだ。

 僕は森博嗣先生の「最も期待値の高いギャンブルは、勉強」という言葉が好きだ。この世界とそこで生きる人間に「絶対」などありえない。だからこそ、何か、誰かを盲信するのではなく、少しでも報われる可能性が高いやり方を自分で考え抜いてやるしかない。競馬だって、他人の予想に丸乗りしても、面白くないし。


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