じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

2026年、「やりたくないことはやらなくていい」世界を生きている。


2026年はちゃんと毎日日記を書こう、と決意していたはずなのにこの体たらく。
もう2027年からにしようかな、と思ったのだが、とりあえず書けるときに書くことにする。来年が絶対にあるとは限らない、そんな年齢でもある。

今年初の平日休みだったので、家で『ドラゴンクエスト1・2』のSwitch2版を継続。紋章も集まり、そろそろ物語も後半かというところ。このリメイク版、ファミコンでリアルタイムで遊んだ僕としては大変懐かしいし、主人公たちの関係性や心の動きがより深く描かれていることが感慨深い。

僕はドラクエシリーズのなかでは『2』がいちばん好きで、サマルトリアの王子が「さあ。いきなよ」とぶっきらぼうに発するセリフとか、ムーンブルクの王女の短い言葉に彼女の体験による心の痛みを想像していたので、このリメイク版は「内面を描きすぎていて、ちょっと押しつけがましい」とも思う。まあでも、当時と同じだと、新規プレイヤーには「過去の遺物」という感じなんだろうな。いや、僕も過去の思い出がなければ、というかあってさえ、「レベル上げとか、アイテム集めのおつかい要素とか、かったるいなあ」とは感じるのだが。

僕の子どもたちは、どんなに勧めても、『ドラクエ』を手に取ってくれない。
本を読みながらレベル上げできる古き良きJRPGは、いまの若者には「わざわざめんどくさいことをさせられている、時間を浪費させられている」ような気分になるらしい。

次男を塾に送っていったのだが、授業開始時刻直前に、車の中で「もう塾に行きたくない」「自分が行きたくないと言っているのに、なぜ無理やり行かせようとするのか」と、車から出なくなってしまった。

「なぜやりたくないことをやらなければならないのか」
2026年は、「やりたくないことはやらなくていい」世の中になってきて、ネットでも「やりたくないことをやらせる人」は叩かれる。
僕だって、やりたくないことは、やりたくないのは同じだし、他人にやらせたくもない。

でも、小学生が(大人だってもちろんそうだ)、自分のやりたいことしかやらなかったら、幸せになれるのだろうか?
何か幸せなんてわからないよな。僕に決められることでもないし、自分の幸せは自分で決めるしかないのはわかっているのだけれど。

僕が世界からいなくなったあと、子どもには生き抜いてほしいと願っている。
特別な才能がない人間が期待値を求めるのであれば、勉強でもやるしかないじゃないか。
マルクス・アウレリウスアントニウスは「人生はやりたいことではなくて、やるべきことをやれ」と『自省録』で繰り返しているぞ(と、子どもには言ってもわからないので言わなかったし、僕も「やるべきこと」をきちんとやっているのではないのだが)。

なんとか交渉したりなだめすかしたりして塾には行ってもらったが、「そんなにやりたくないのなら、もう自分の人生なんだから好きにしろ。やりたくないならやらなくていい」のほうがよかったのだろうか。
Netflixで面白い番組をみて、YouTubeやテレビゲームで時間を使う人生が本人にとって幸福であれば、それでいいのだろうか。
その一方で、勉強するというのは、幸福のハードルを上げているだけではないのか、とも思う。

そもそも、僕自身だって、何が本当の幸せなのか、この年齢になってもよくわからないのだ。

世界は不確実性に満ちていて、どんなに真剣に検討したつもりでも、コスモキュランダが有馬記念2着とか、可能性があるのはわかっても、馬券までは買えないしなあ。

帰りが少し遅くなり、寝たのは24時半くらい。


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