予定していたことが中止になってしまい、なんとなく手持無沙汰な日曜日。
大学入試で人生を賭けている人もいるというのに、というか、うちの子どもたちも、もう意識しなければならない年齢なのだが。
年末からずっと疲れが蓄積している(それも8割くらいは自分自身が原因なのだが)気がしたので、今日は頑張って休むことにした。時間ができると、つい買い物に行ったり映画を観に出かけたりしてしまうので、ミッションとして休む。
しかしながら、夕方から『ドラゴンクエスト2リメイク』のSwitch2版をちょっとレベル上げするだけのつもりだったのに結局夜中までやってしまった。本編クリアがかなり近づいてきた感じで、そうなると、つい、休日前にクリアできるところまで進めておこう、と延長してしまう。ああ、この敵、ファミコン版でもこの呪文使っていたなあ、と懐かしくなる。
40年くらい経ってもまだ『ドラゴンクエスト』をやっているとは、あの頃は想像もしていなかった。
けっこう長い時間生きていると、「最近の若者は違うなあ」と感じることと、「昔も今も変わらないなあ」ということが入れ代わり立ち代わりやってくる。
『X』を眺めていると、最近の僕のタイムラインには、人のコンプレックスを刺激して、なんとかしたほうがいいのかなあ、と思わせ、次に対処のための商品紹介、というパターンのポストが並んでいてうんざりする。他者のコンプレックスをネタにしている時点で不快で、さらに「けっきょく宣伝だったのか……」と振り回されたことに腹が立つ。買わないだろこんなの、と思うのだけれど、電話での「お得な不動産投資(=マンション勧誘)」や「安くなるネット回線プラン」などは令和でも生き残っていて、ということは、誰かが買うとか契約していてそれなりに儲かる商売になっているんだよな。僕も人生で何人か「電話がきっかけで投資用マンションを買ってしまった人」を知っているが、みんな「押しに弱くて断れない『いい人』」だった。
「銀行は晴れているときに傘を無理やり貸そうとし、雨が降ってきたらその傘を取り上げる」という言葉があるけれど、ブルシット・ジョブ的なものは、たいがい、無くてもいいものを半ば強引に断れない人に売りつける仕事のような気がする。
そういう意味では、「子どもを医者にしたい親」には「子どもを、自分が売りたくないものを売りつけて生きていく人間にしたくない」という動機もあるのかもしれないな。しかし病気が世界からなくなったら食べていけない仕事であるのも事実で、人を楽しませて稼げるような仕事をしたかったな、とも実際にやってみた僕は思う。
この年齢になって「働きたくない」が「働けない、働かせてもらえないのはイヤ」になってきた。年齢的には、一昔前ならあと5年で定年で、サザエさんの波平さんと同年代。ずっと「定年がないってことは、可能なかぎり、ずっと働き続けなきゃいけないのか……退職金もないしもうウンザリ」だったのに。もう、定年になったって年金で悠々自適って時代でもないからなあ。
ようやく『ドラクエ』に一区切りつけて、26時くらいに就寝。しっかり休むんじゃなかったのか自分……

