じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「およそ師を誤るほど不幸なことはない」

 台風が来たため、家で過ごした。しかし、先日の豪雨に比べると、台風というのは、通りすぎていくのがわかりやすいだけに、まあ、しばらくの辛抱だ、という気分になってしまうのが不思議だ。
 あのときは、職場から家に帰れるかどうか、という状況だったにせよ、車の中で、この雨はいつになったら降り止むのだろう、と不安になるくらいだったので。
 『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』みたいだ。

 夜、またもや『ザンキゼロ』、鬼門のステージ6は、ボスが堅くでなかなかクリアできない、こんなの倒せるのか?と毒づいていたのだが、ちゃんと装備を整えて戦ったら、けっこうあっさりやっつけられた。世の中、なんでこうなるんだ、と物申したくなることだらけだけれど、結局、こちら側の問題であることが多いのだよなあ。40代半ばになって、以前よりもさらにイライラしやすくなっているので、自戒せねばなるまい。まあしかし、めんどくさいし、時間を食いまくるゲームではある。この年になってあらためて考えると、読書と映画鑑賞とテレビゲームというのは、結局、オッサンにとってはいちばんお金がかからず、波風も立ちにくい趣味にはちがいない。


mainichi.jp

 
 村上春樹さんが、毎日新聞オウム事件の死刑囚13人の死刑執行について寄稿していた。
 村上さんには、地下鉄サリン事件の被害者側に徹底的に取材した『アンダーグラウンド』というノンフィクションと、元オウム信者たちにインタビューした『約束された場所で』という2つの著書がある。
 それを踏まえてこの事件を語っておられるのだが、オウム信者側からみれば「極刑以外の道もあるのではないか」と思うし、被害者側には、「死刑でも足りない」という気持ちもあるはずだ。
 人が人を裁く、というのは本当に難しい。


 林泰男被告の裁判で、木村裁判長の判決文には、こう書かれていたそうだ。
 「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であったと言える。(中略)林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑をもって臨むほかない」


 子どもにとっての親、義務教育での担任の先生、人生において、「師」というのは、意外と自分では選べない。ただ、自分で選べる場合でも、「なんとなく優しそう」とか「先生云々よりも、自分のやる気次第だろう」とか、けっこう適当に「師」を選んでしまうことは少なくないのだ。
 独学でできることには限界がある。あらためて考えると、「誰を師にするか」というのは、その人の人生にとって、すごく大きな選択だ。ただ、それはときに「運」でもある。
 麻原彰晃を信じた人たちは、むしろ、「真面目に選びすぎた」ような気もするのがまた、難しいところなのだ。


約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

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