2024年3月6日。
最近、本当に忙しい、というか、忙しい気がずっとしている。
今日は平日休みなので、しっかり休んで部屋の片付けをしよう、と思っていたのだが、買い物に出かけたりYouTubeを見たりしているうちに夕方になってしまった。
久々にTSUTAYAに行ったのだけれど、前回よりさらに「書店+レンタルコミック店+文房具店」化が進んでおり、花形だったレンタルDVDやゲームソフトのコーナーは閑散としていた。あと、トレーディングカードやガチャガチャのコーナーもかなり充実していたな。
週末のレンタルDVD店の賑わいを記憶している人間としては切ない気持ちもあるのだが、一度配信サービスに慣れてしまうと、借りるのはまだいいけど返すのは面倒なんだよなあ。案外、配信されていない(あるいは、加入しているサービスには含まれていない)映画やちょっと古いバラエティ番組というのはあるのだけれど。
将棋の羽生善治九段がB1順位戦の最終局に敗れて、B2クラスに降級となった。
羽生さんはスポーツ音痴で将棋好きの僕にとっては同世代のヒーローだし、藤井聡太名人とのタイトル戦(王将戦)は、素晴らしい勝負だった。
54歳だけど、羽生さんならまだまだやれるはず、だと思ってはいるけれど、A級陥落後、3期でさらにB2へというのは寂しい。会長職が激務、というのもあるだろうし、長い持ち時間の将棋は年齢的にも若い頃よりパフォーマンスが落ちるのも事実だろう。藤井聡太名人は、持ち時間が長いタイトル戦のほうが強い、というデータも出ている。
ネットでの反響をみていると(ひとりの棋士の順位戦のクラスが下がる、というだけで、こんなに多くの人が言及していることそのものがすごいのだが)、「まだ指し続けてほしい、会長職の任期が終われば研究する時間も取れて、復活できるのではないか」「名人戦以外のタイトル戦では近年も挑戦者に近いところまで何度も行っているし、まだまだやれる」という声も多かった。
僕も、ファンとしては羽生さんに指し続けてほしい。
でも、今後、羽生さんがさらに棋力を上げて、AI世代の伸び盛りの若手を蹴散らしまくるというのも、正直、想像し難い。
今回のB1級でも、最後の2局は、どちらか1局でも勝てていれば、残留できていた。そういう勝負どころで踏ん張りきれなくなっているのは年齢的なものもあるはずだ。
多角的な活躍をされていて、将棋連盟の会長として将棋界の象徴としての仕事も、羽生さんは自分の責務として受け入れているようにみえる。
生涯1プレイヤーであることにこだわるのもそれはそれでひとつの生き様だとは思うけれど、羽生さんは、これまでの経験とレジェンドとしての立場を、将棋界全体の繁栄のために活かすほうが良いのかもしれないな、とも思う。
50代半ばというのは、現場のプレイヤーにとっては「晩年」だけれど、経営者、まとめ役としては「まだこれから」の年齢だ。
もちろん、みんなが「役員」になれるわけではないが。
羽生さんの順位戦での将棋が見られなくなるのは寂しい、というのと、「それなりのポジションでやり続ける」のであれば、順位戦からは退いて、「知の開拓者」として、あるいは将棋界のレジェントとしての普及活動にシフトしていくのが「正しい歳の重ねかた」ではないのか、とも考えてしまう。
片手間に順位戦で闘えるような世界じゃないからなあ。
50歳を過ぎて、より広範囲での仕事を求められる存在というのは、子どもの学費を稼ぐために1プレイヤーとして残り滓を絞り出し続けている僕には羨ましくもある。
と、もう次のステージにクラスチェンジしてしまったほうがいいのでは、みたいなことを書きながら、羽生さんがフリークラスになったり引退したりして、もう名人にはなれない(ならない)ということが決まったら、すごく寂しい気持ちになるだろうな。
僕は他人の人生に対してワガママだ。
スイッチの『都市伝説解体センター』を1話分進めて、25時半に就寝。