じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

『コウノドリ』を観て、物思いにふける秋の夜

 昨日あまりうまく眠れなかったこともあり、体調はいまひとつだったのだが、そんなに忙しくなかったので、なんとか乗り切れた。まあなんというか、身体も心も、だましだまし使っている、そんな感じ。いまの仕事に対しては、物足りないなあ、と思うこともあるけれど、たぶん、そのくらいが丁度いいのだろう。
 そういえば、昨日学会の会場で、若い医者に学会でのプレゼンについて説明している先生がいて、そういう現場から自分が離れてしまったことを、急に寂しく感じてしまった。
 実際にやっているときには、めんどくさいと思うことのほうが多かったはずなのに、人間というのは、ワガママなものだ。

 家に帰ってお風呂に入ったら急に眠くなってきて、2時間くらい仮眠。
 こういうことを繰り返しているから、今度は夜に眠れなくなる、という悪循環。
 睡眠というのは、合計何時間寝たから大丈夫、というわけでもないようだ。
 飛行機で細切れに寝ても、結局あまり疲れがとれないのと同じで。

 夜『コウノドリ』の第1話を観た。
 僕は基本的に医療ドラマは観ないのだが(登場人物のカッコ良さと自分を比べてうんざりするので)、前シリーズは観ていないにもかかわらず、なんだか気になって。
 さくら先生、ほんとイケメンだよなあ。
 個人的には、星野源さんの四宮先生に「こういう医者、いるいる!」と嬉しくなってしまった。
 愛想は悪いし、ぶっきらぼうだが、本当に困ったときには、難しい急患をサッと受け入れてくれる人。
 同業者には評価されているのだが、患者さんからの評判は両極端。

 不安な患者さんや家族に対して、「だいじょうぶですよ」と温かい言葉をかけて、励ますべきなのか、客観的な事実を告げて、過剰な期待や依存を招かないようにするべきなのか。
 僕は20年くらいこの仕事をやっているのだが、最初の頃は、がんの告知をするかしないか、という議論が行われていた時代で、「告知はしないでくれ」という家族も多かった。
 その後、「ちゃんと告知をするのが大原則。訴訟になるケースもあるので、きちんと説明し、過剰な期待を持たせるべきではない」という流れになってきた。
 ただ、最近は、その揺り戻しなのか、難しい状況で、患者さんに「だいじょうぶですよ」「心配しなくていいですよ」と言うことの意味、みたいなことも考えている。
 多くの場合、本人も家族も、そういうときの悪意のない「だいじょうぶ」に噛み付いてくることはなく、むしろ、理解や感謝を示してくれる。
 ただ、例外を目の当たりにすると、やはり腰が引けてしまいがちにはなるのだ。
 『コウノドリ』は、良いドラマだと思う。
 ただ、四宮先生が父親に「手伝う、じゃないだろう、あんたの子どもだろ!」と言うシーンを観たときには、それは正論だけれど、そうやって医者が言葉にすることによって、夫婦の亀裂を深めるのではないか、とも感じたのだ。
「一緒にがんばろう」
 そう言うと、こんな答えが返ってくることもあるのだ。
「一緒にって言うけど、あなたがキツい思いをして、産むわけじゃないでしょ?」


 生命が生まれるシーンがドラマチックであればあるほど、「でも、こんなふうにして生まれた子どもも、親たちも、みんなが幸せになるわけじゃないんだよな」とか、つい考えてしまうところもあるのだ。
 僕は本当にダメだな。秋だから、ということにしておきたいが、たぶん、ずっとこんな感じだ。

 26時に就寝。