じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

さくらももこさんがいない世界に、『おどるポンポコリン』が流れている。

 仕事を終えて、帰りながらラジオを聞いていると、パーソナリティがさくらももこさんのことを話していた。さくらさんの訃報に対して、世界中で、驚きと悼みの声が広がっているそうだ。『ちびまる子ちゃん』のアニメは、世界60ヵ国で放送されているというのだそうだ。「昭和40年〜50年代前半くらいの日本」を知らない人には敷居が高いというか、伝わりにくい作品ではないかと思っていたのだが、世界中の人たちが、「そういうのって、あるよね」と思いながら『ちびまる子ちゃん』を観ているのだな。こういうのがシンクロニシティなのだろうか。すぐれたコンテンツは、みんなに「これは自分のためのものだ、自分にしかわからないのではないか」と思い込ませるものなのかもしれない。
 番組のなかで、追悼の意を込めて、『おどるポンポコリン』をE-girls木村カエラさんがそれぞれカヴァーしたものが紹介され、最後にオリジナルのB.B.クイーンズ版が流された(このB.B.クイーンズ版は190万枚売れたそうだ)。
 当時も「これはすごい歌だな」と驚いたのだけれど、今聴いても、やっぱりすごい。
 意味がありそうでなさそうな、辻褄があっているようないないような、さくらももこという人のセンスが集約されているような歌詞だ。
エジソンは、えらいひと」
 いや、たしかにそれはそうなんだけれど、なぜ、このフレーズを歌詞にしたのだろうか……
 
 さくらももこという人は、なんというか、誰よりも、平成という時代のはじめの空気に馴染んでいた一方で、自分自身が「時代の寵児」になっていることに、戸惑っていたようにもみえた。戸惑いながらも、「ラッキーでこういうことになってしまったのだから、この人生を楽しんでみよう」としていたようにもみえたし、「自分のやることは、今の時代の一定の人々に必ず指示されるはず」と確信していたようにもみえた。
 自分自身がやってきたこと、やっていたことには饒舌だったけれど、「現在の自分の内面」については、一時期から、ほとんど語らなくなっていた。
 もちろん、これから「関係者」のいろんな話が出てくる可能性があるのだけれど、もしかしたら、さくらさんは、「まる子」に転生して生き続けるつもりだったのかもしれないな。

 月は変わったが、僕のツキはあまり変わらず。何をやってもダメなときはダメみたい。
 そういうときにはじっとしているほうがいいのか、結果は出なくても足掻いてみたほうが結果的には早く浮上できるのか、この年齢になっても、まだよくわからない。


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おどるポンポコリン

おどるポンポコリン

おどるポンポコリン

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