じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

雨上がり決死隊の解散会見をみて、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を噛みしめた夜


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雨上がり決死隊、解散のニュース。
正直、そこまで二人に思い入れはないというか、競馬中継で穴馬ばかり買っている蛍原さんに「さすがにそれは狙いすぎでは……」というくらいの印象しかないのだが、なんでわざわざ「解散」を報告するのだろう、という気はした。
SMAPのように、これまでは一緒に番組に出ていたけれど、もう限界、というのならともかく、実質2年くらい同じ舞台には上がっていないわけだし、『雨上がり決死隊』という屋号を外すメリットも思つかないし。
極楽とんぼのように、「本人たちは一緒にやりたがっているけれど、諸事情で不可能なまま時間を過ごすのではないかと。

ただ、配信がYouTubeになったこと、ずっと宮迫さんが一緒に立ちたいと言っていた『アメトーク』のセットが使われたことを含めて、これは、宮迫さんへの蛍原さんからの最後のエールなのかな、とは感じた。

蛍原さんは、あの不祥事のあとも「自分がこうして芸能界でやっていけるのは全部宮迫さんのおかげ」とずっと言い続けていたし、雨上がり決死隊の復活を望んでいたのだと思う。

宮迫さんは不祥事発覚から4ヵ月でヒカルさんと組んでYouTuberとしてデビューし、それなりに活躍している。けっこう稼いでもいるはずだ。

蛍原さんと宮迫さんをみていると、自分と家族や親友、相方との関係について考えずにはいられないのだ。

人は、相手が家族や親友だと、「このくらいは許してくれるだろう、言わなくてもわかってくれるだろう」と思い込み、ちゃんと説明をしたり、お願いや謝罪をしたりするのを忘れてしまう。
「だって『友達』だから」というのに甘えきってしまうと気付かなくなるのだが、相手は「いくら身内だからといって、そこまでぞんざいに扱われるのは許せない」と、どんどん心が離れてしまう。

「外面ばかり良くて……」って僕もよく言われて、「いや、外の人には好感を持ってもらうようにしないと社会で生きづらいよ」と思っていたのだが、それは「身内だからといって、嫌なところばかり見せるな」ということなのだろう。

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、これまで「親しさに甘えすぎて大事な人を失ってきた」さまざまな人間たちの苦い経験から生まれたのだ。

蛍原さんは、宮迫さんに感謝していたし、なんとか二人で復帰したかったからこそ、もどかしかったのだろうな。

宮迫さんは、YouTubeという新しい世界で生きていくのが、面白くなってしまったのではなかろうか。

今の世の中の状況を考えると「勝手にYouTuberをはじめて……」というのは「お世話になった人たちに不義理」ではあるけれど、有名人の生存戦略として、必ずしも間違っているとは言えない。
ずっと人気商売をやっていて、いつまでも謹慎していたら、忘れられてしまうという危機感もあったはずだ。
いまの若い人の感覚では「もう、テレビに出るよりYouTuberで稼いだほうが良い」になっているし。
僕の2人の中学生、小学生の子どもたちは、ほとんどテレビを観ないし、テレビのバラエティ番組に興味も示さない。YouTubeはずっと観ているのに。
2人にとっては、ビートたけしさんや明石家さんまさんよりも、ヒカキンやまいぜんシスターズのほうが、「大スター」なのだ。


僕は宮迫さんの芸風そのものがあまり好きではないのだけれど、不祥事を起こしたとたんに、さまざまなメディアに「宮迫さんの人間性」を問題視するようなコメント(掲示板なども含む)が溢れてきたことに、違和感もあるのだ。

日本ハム中田翔選手だって、暴力事件が悪いのは当たり前だけれど、活躍しているときは長年、昔の清原和博さんみたいな「昭和風の面倒見のいい番長キャラ」として面白おかしくメディアは伝えてきたじゃないか。

そもそも、宮迫さんも中田翔さんも、人間性が素晴らしいからスター選手や有名芸能人になったわけじゃない。野球が上手い、あるいは面白いことができるから成功したのだ。逆に「すごくいいひとなんだけど、マウンドに立てばフォアボールばかり」とか「人格者だけどつまらない芸人」なんてその世界では誰も見向きもしないだろう。

にもかかわらず、悪事が露見したとたんに「宮迫さんの人間性に失望しました」とか言う人が大勢いるのだよなあ。
中田翔だって、今シーズン打ちまくっていたら、あの暴力事件も表沙汰にしなかったのではないか、というか、ああいうことは、今回が初めてではないように思う。球団も、今の年俸でこの成績に暴力事件では、切り捨てるのもやむなし、なのだろう。

医療の世界だって、「ある程度勉強ができて、大学受験で面接官に10分くらいで悟られるくらいに人格が破綻していない限り、医者になれる」のだ。まあ、6年間医学生として勤めあげるのは簡単ではないとしても。

そんなに人間性が大事なら、ドラフトも野球の技術より人間性で指名すればいいのに。まあ、本当に成功する人の多くは「まともな人間であると周囲に思い込ませる技術」も持っているのだけれど。
 
良いときは能力だけでもてはやし、落ち目になったら、「人間性」を責めて叩き落す。
ただ、これはそういう反応をする人たちを攻撃するよりは、「だからこそ、うまくいっているときは増長せず、ダメなときも八つ当たりしてはいけない」と自戒すべきなのだろう。周りを変えるより、自分が変わるほうが簡単だ。

僕も最近「イライラを抑える漢方薬」にだいぶ救われている気がする。薬が本当に効いているのか、それを飲んでいるからイライラしないはず、という精神的な影響が大きいのかはわからないけれど。


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