じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

ホンダは、僕が見捨てたあとも研鑽を続け、13年ぶりに表彰台の一番上に立ったのだ。

 今日からもう7月。2019年も後半戦に入ったわけだ。
 最近は、時間が経つのが早過ぎてつらいなあ、というのと、早く給料日にならないかなあ、という矛盾を抱えて生きている。
 
 朝起きて、ネットでレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手のオーストリアGP優勝が確定した、というニュースを観て、ちょっと泣いた。
 ホンダは13年ぶりのF1優勝とのこと。表彰台には、ホンダのテクニカルディレクターが上がって、祝福を受けたとのことだ。
 僕にとっての、いや、1980年代から90年代の日本のF1ブームを体感した多くの人たちにとって、マクラーレン・ホンダアイルトン・セナアラン・プロストのダブルエースが勝ち過ぎるくらいレースに勝ちまくっていた時代のことは忘れられないはずだ。
 セナはレース中の事故で亡くなり、ミハエル・シューマッハはレースを完走したものの、その後の不慮の事故でいまだ療養中。ホンダも2006年にフルコンストラクターとして優勝したあとにF1から撤退。2015年からエンジンサプライヤーとして期待されて復帰したものの、振るわない成績が続き、マクラーレンから三行半を突き付けられ、2018年はトロ・ロッソ、そして2019年から、レッドブルと組んでいた。
 2015年からのホンダエンジンについては、かつての栄光はどうなってしまったのかと思うような結果しか出せず、これで参戦する意味があるのだろうか、とも感じていたし、僕自身も地上波では日本GPくらいしか放映されないF1への興味を失っていた。
 ホンダは、僕が見捨てたあとも研鑽を続け、こうして表彰台の一番上に立ったのだ。
 タイムシフト録画で観たのだけれど、結果がわかっていても興奮してしまうくらいスリリングなレースで、F1ってやっぱり面白い。
 接触について審議されたものの、レースでは起こりうる事象で、両ドライバーに責任は問わない、ということになった。
 フェラーリも「判定に納得はできないが、F1というスポーツの将来を考えて、抗議せずに受け入れる」とコメントしていた。
 フェラーリも、ホンダの優勝と今日のスリリングなレースを傷つけるのは得策ではない、と考えたのだろうと思う。

 勝ったからまた興味を持つ、というのはミーハー極まりないのだけれど、また、F1をときどき観てみようかな、と思う。
 そして、もう無理なんじゃないか、と思い込んでいたホンダの勝利には、僕も少しだけ、希望とか続けることへの勇気をもらった気がする。

 いつまでも、セナ、プロストマクラーレンホンダじゃないよね。現場では、新しいスタッフが、より素晴らしいマシンをつくるために頑張っているのだから。


技術屋の王国―ホンダの不思議力

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