じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「機嫌よく過ごす」という目標は、簡単なようで、なかなか難しい(2020年の有馬記念の日に)

 ついに有馬記念。誕生日に有馬記念となれば、競馬者としては絶対に当てたい、というか、1年のなかで、日本ダービー有馬記念だけは当てておきたい。有馬記念はついついたくさん賭けてしまうし、外れるとけっこう引きずるんだよなあ。
 というわけで、今の中山の時計が力がいる馬場は向きそうなクロノジェネシス本命で、残り全馬に総流しのつもりだったのだが、ジャパンカップで3頭の3冠馬と接戦を繰り広げたカレンブーケドールも同枠ということで、どちらか来るだろう、と5枠から総流しで勝負。そして、フィエールマンから、気になるワールドプレミア、ラッキーライラック、ラヴズオンリーユー、キセキへの馬連も購入、する直前に、有馬記念ウイークは馬連の配当が売上の75%から80%にアップする、というのを知って、5枠からの枠連総流しを、クロノ、カレンからの馬連総流しに変更。結果的に、けっこうな数の馬連を買うことになってしまった。
 それでも当てたい、有馬記念
 ……という気分だったのだけれど、競馬をやる人ならお察しの通り、こんな買い方をしていては、賭ける金額ばかりが増え、当たってもプラマイゼロとかマイナスになってしまう。いや、それでも外れるよりはいいから、と自分に言い聞かせてみたのだが、賭け終わってレースを待っていると、自分はいったい何をやっているんだろう、と吐きそうになってきた。
 もちろん、これだけ買えば当たる可能性は高いはずだ。でも、当たってもほんのちょっとプラスで、外れれば全額没収、というのは、ギャンブルとしては間違っている。リスクや期待値を考えれば、「こんな賭け方をするくらいなら、賭けずにのんびり今年の競馬を締めるレースを眺める」ほうが、賢いに決まっているではないか。当たるかどうかもわからないのに、当たってもマイナス、なんてあまりにもバカバカしい。
 今年は、自分自身のいらだちや馬券が外れたときの落ち込みを考えて、「とにかく当てて、気分よく過ごす」ことを重視してきた。そのおかげで、とくに秋のG1は、コントレイルやアーモンドアイの複勝が当たるかよりも、100円か110円かでやきもきしていたのだが、そんなことをやっていると、「ここまで当たりやすい選択をしているのだから、外れたら困る、外れたらどうしよう……」というようなプレッシャーがかかってくるようになってしまったのだ。「機嫌よく過ごすためにとにかく当たること重視」のはずだったのに、むしろ、当たるとホッとし、当たらないと激しく落ち込むという状況に。
 とりあえず、有馬記念はクロノジェネシスが強い勝ち方をしてくれて、安心してみていられた。本当は、道中、そんなに後ろで大丈夫なの?ってヒヤヒヤしていたけれれど(まあ、カレンブーケドールでもいいから……)。最後、サラキアが2着に食い込んできたときも、総流しだから問題なし。正直、キタサンブラックのときの痛い記憶がなければ、総流しにしていたかどうか。それでも、サラキアはパドックでも良く見えたし、買ってはいたとは思うけど。エリザベス女王杯2着のときも、距離が長いだろう、と思っていたのだが、すごい脚で差してきて驚いていたので。府中牝馬Sに勝ったときは、あの極悪馬場だから、とみなしていたんだよなあ。でも、荒れた馬場に強くて、いますごく充実している、と考えれば、もっと人気していてもよかったかもしれない。ただ、7枠14番は、有馬記念ではきついよね。同枠13番のフィエールマンに先着すると予想するのも難しいし。有馬記念に出てくる馬なんて、後付けで考えれば、どれも「買える理由」のひとつやふたつはあるものだ。


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 有馬記念馬連万馬券!といえば景気が良いのだが、収支でいえば、買おうと思っていたニンテンドースイッチのダウンロードソフト1本分くらいのプラスだった。というか、プラスになってくれてよかった……大負けしなければいい!と言いつつも、当ててマイナス、というのは、けっこうつらいので。

 それにしても、「機嫌よく過ごす」という目標は、簡単なようで、なかなか難しい。
 「機嫌や気分が悪くなるようなことを、自分の周りから排除する」ことにこだわり始めると、ストレスに弱くなる、というか「なんでこんなに気をつけているのに、不快な目に遭ってしまうんだ……」と、ちょっとしたことで不機嫌になりやすい。そもそも、人間の「快」と「不快」は表裏一体というか、「不快」を徹底的に避けようとすると、「うまくいけば快」的なものを我慢することも多くなり、それはそれで、退屈さに苛立ることもあるのだ。本当に、何をやっているのだろう。「外れたら困る競馬」なんて、やるべきじゃないし、ありえない。理屈でわかっていても、G1レースが行われるのに賭けない、という行為にも、強いストレスを感じてしまうのだ。

 うまく生きるのは、難しい。半世紀くらい生きていても、上手になれないというか、別の形での「生きづらさ」とか「面倒くささ」が次から次へとやってくる。