じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

静かなエイプリルフールに、志村けんさんの追悼番組を観ながら考えたこと。


 4月1日。新年度の始まりの日で、エイプリルフールなのだが、今年は冗談が通じるような雰囲気でもなく、淡々と過ごした。
 何人か新しく来た人が挨拶をしにきたくらいが普段と違うところか。
 まあ、淡々と過ごせて給料がもらえれば、それはそれでいいのか。

 長男の小学校は、予定では4月6日が始業式なのだが、本当にその日にはじまるのか、まだ正式な連絡は来ておらず、ホームページも1週間くらい更新されていない。予定通りに始まるのか、始まらないのか。東京や大阪など、感染が広がっている地域では、ゴールデンウィーク後まで休みになるらしいが、大都市ほど新型コロナの観戦者数が増えているわけではないが、最近新たな感染者が見つかってきている、という状態で、どういう判断が下されるのか。
 電車通学の子どももいるし、感染予防という意味では、自宅学習のほうが良いのだろうけど、家では勉強しないからなあ。まずは命、ではあるのだけれど、感染のリスクがゼロに近い、あるいはワクチンの開発などで治療にメドが立つまで、となれば、どのくらい時間がかかるかわからない。
 2020年4月に東京オリンピックが延期されたり、日本中の学校が休みにされたりする世界にいることを、1年前に誰が想像できただろうか。

 志村けんさんの追悼番組を観たのだが、悲しい気持ちはありつつも、大笑いしてしまった。でも、自分のなかに「今日は笑ってあげなきゃ」みたいなバイアスがあるのもちょっと感じてはいた。志村さんのコントは、平日の夜に、「そういえば『バカ殿』やるんだな」と、ふと気がついて、テレビから流れているのを観るともなく観て、つい笑ってしまう、みたいなのが、僕にとってはベストな接し方なのだろうと思う。今回志村さんのコントを観ていて「あれ?」と思ったのは、オンエアされたコントの多くで、演者である志村さんやゲストのタレントさんが、途中で吹き出したり、笑ったりしている、ということだ。志村さんは完璧主義者で、コントの台本もしっかりつくると聞いていたのだが、研ナオコさんによると、けっこうその台本を無視してアドリブで共演者を笑わせようとしていたらしい。演者が自分で吹き出してしまうというのは「NG」になるのでは、と思うのだが、志村さんは自分で映像をチェックして「このテイクを放送しよう」と決めていたはずだから、「それで良い」と考えていたことになる。そして、不思議なことに、志村さんのコントの場合は、笑ってしまう演者たちにつられて、こちらも一緒に笑ってしまうのだ。
 こういうときだからこそ、「笑うこと」というのは、大切に感じる。志村さんが仰っていたように、笑うと、「とりあえず明日も頑張ろう」という気分になる。