じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

Netflixの『浅草キッド』と「新しい価値観を生み出す人」

 
 ゴールデンウィーク後半の3連休初日。
 考えてみると、これから3日続けての休みなんて、年内には夏休みが取れるかどうか、くらいなので何かしたいな、と思うのだが、新型コロナは話題にはならないが結構患者数は多いし(ゴールデンウィークの人の密集で、また増えるかもしれない)、医療関係者という立場上、あえて出かけて感染するのもなあ、と、家で過ごしている。気分的には、5月3日の時点で、もう、ゴールデンウィーク終了後のことを考えて憂鬱になり始めている。いや、5月6日の出勤ですら既に気が重い。朝早いし。

 Netlixに入ってからずっと観ようと思っていた『浅草キッド』をようやく鑑賞。最近は2時間の映画をテレビで観るのはなんだか辛いので1時間ずつ2日に分けるつもりだったのだが、結局全部観てしまった。

 昭和40年代の東京・浅草で大学を中退しフランス座のエレベーターボーイ兼裏方を勤めていたタケシは、数々の人気芸人を育て上げたという深見千三郎に弟子入りし、「芸人としての生き方」を教わっていく。しかし、娯楽の中心はテレビに移っていき、フランス座の経営はどんどん厳しくなって……

 正直、深見千三郎の「芸」を、今の感覚で観ると、「なぜこれがそんなに人気になり、若い頃のビートたけしを引きつけたのか」と疑問にはなるのだ。そもそも、ツービートの漫才も、今観ると「懐かしいが、面白いかと言われると、ポリコレとかが頭に浮かんできて無邪気に笑えない」のだ。ただ、深見千三郎のコントは、「メタ的」というか、ただ面白いこと、変なことをやって笑わせる、というよりも、「笑わせる側の事情」「舞台裏」みたいなものを観客に見せて笑わせる感じで、当時としては、新しかったのだと思う。ツービートの漫才よりも、その後のビートたけしさんが作ってきた番組に通じるところがあるのだ。

「客に笑われるんじゃない、客を笑わせるんだよ!」
「芸人っていうのは、客に『何が面白いか』を教えてやるんだ」

 こういう深見千三郎の言葉を聞いていて、僕は、アンディ・ウォーホルのことを思い出していた。
 「みんなが面白がってくれそうなこと」に適応するのは「技術者」であって、「こういうのが『面白い』のだ」と、みんなが見つけていなかった価値を生み出す」のがアーティストなのだよなあ。マルセル・デュシャンが便器を「アート」にし、ウォーホルはスープの缶のデザインや交通事故の写真を「アート」だと人々に思い込ませた。「売れそうなことをうまくやる」のは二流で、「こういうのが売れるべきなのだ」と社会の価値観を変えるのが一流。スティーブ・ジョブズもそういう人だった。ただ、こういう生き方は、宝くじを買うくらいの成功率だし、「新しすぎるものは、すぐに古くなる」のも事実なのだ。
 僕はずっと「二流」を目指し、そこにも届かない人生だったなあ、と思いながらエンドロールを見ていた。少なくとも、ドラマの中のビートたけしは、あれだけ成功したのに「孤独」、いや「孤高」に見えた。幸福になりたい、とみんな言うけれど、もう少しラクに幸福になれそうなルートが見えていても、結局、やりたいようにしかやらないし、生きたいようにしか生きられないのではないか。そして、死にたいようには死ねない。

 連休だったのでいくつかやりたいことはあったのだが、24時に椅子で寝落ちしてしまった。


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