仕事帰りに、映画『罪の声』を観た。
この映画を観たい、というより、何か映画を観たいので、適当なものはないか、という消極的な選択。小説版に関しては、実在の事件を題材にして、「フィクションです」という但し書きをつけて作者の想像力を羽ばたかせるのは、なんだか釈然としなかったのだが、映画からはすごく切実なものが伝わってきて、けっこう良かった。
ある登場人物を演じていた宇野祥平さんが、本当に凄かった。
なんというか、この人を映画に出したらヤバいのではないか、と思うくらいに。
人間というのは、予期せぬ不運や他人のとばっちりで一生を台無しにすることだってある(先日も、飛び降り自殺の人が落ちてきて命を落とした歩行者がいた)。
失ってしまったものを、取り戻すためだけに一生を費やしてしまう人もいる。
そんなことは忘れて、新しい人生を踏み出せばいいのに、と他人は言うけれど、本人にとっては、まず「ゼロ」に戻らなければ、そこから先には進めないのだ。そういう人が、他者の社会運動に利用されるだけの存在になってしまうこともある。
世の中は因果応報なのか、それとも運なのか?
「人間、これまでの行いがすべて返ってくるのです」と言う人をみるたびに、僕は、1945年の8月6日に広島で焼かれた人たちのことを思い出す。あの人たちは、そんなにひどいことをしてきたのだろうか。赤ん坊だっていたのに。
でも、すべてを運だともやっぱり思えないし、トラウマや恨みつらみや過去の栄光をすべてリセットして生きるのも無理だ。
「私は、あなたのようにはならない」
それはきっと、確信ではなく、祈りみたいなものなのだろう。