じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

大河ドラマの「主人公美化しすぎ問題」と、私見「『本能寺の変』はなぜ起こったのか?」

 まだ緊急事態宣言も続いているので、家で『バディミッション BOND』の続き。体験版では、ベタなキャラに一本道ストーリーのアドベンチャーだと思っていたのだが、進めていくにつれ、敵味方が入り乱れてきて、誰も信用できず、なんだか面白くなってきた。思ったほど簡単ではないみたいだし。いや、簡単じゃない、というよりは、完璧にクリアしておまけまで全部見るのは大変、と言うべきか。

 『麒麟がくる』は最終回目前。
 明智光秀、ここまで出世して、ものすごく偉くなっているはずなのに、なんだか板挟みになりまくっていて、観ていていたたまれない気分になってきた。
 中間管理職(というか、織田軍のなかでは大幹部のひとりではあるのだが、信長と直接やりとりをしなければならないだけにつらいところがある)の悲哀というか、こういう調整役みたいなのは、気配りができる人が充てられるのだが、気配りができる人というのは、総じて、人間関係で消耗しやすいところがある。

 ただ、これはドラマでの光秀であって、実際はどうだったのだろうか。

 僕はずっと前に、大河ドラマの『徳川家康』で、滝田栄さん演じる家康が「善意のかたまりのような人」として描かれているのを観て、「さすがにそれはない」と子供心に呆れていた。豊臣家を滅亡させるときも、「なんとか秀頼を助けてやりたい」「民のために平和な世の中にしたい」なんて未練がましく言い続けているのだ。そんなの秀頼を生かしておいたら危険だと思ったから難癖つけて責めたのだろうし、「民のため」なんて、きれいごとにも程がある。大河ドラマって、主役を必要以上に美化し、理想主義者に描いてしまうところがあって、僕はそれが苦手なのだ。

 どんな理由があれ、光秀が主君を裏切ったのは事実だし、味方してくれると信じた人たちのほとんどは、様子見か敵についてしまった。佐久間信盛が追放されたのをみて、次は自分の番なのでは……と不安になっていたところに、信長がノーガードで本能寺に滞在し、自分にはかなりの手勢がある、という状況が生まれてしまって、「やられる前にやる」と決意しただけのことではないか、と個人的には思っている。

 ヘンなたとえだけれど、ゲームショップに入ったら、ちょっと気になっているゲームがものすごく安くなっているのを見つけてしまって、それを買うつもりじゃなかったのに、買わないともったいない、という強迫観念に駆られてしまった、みたいな感じなのではなかろうか。

 人生の終わりみたいなものが見えてくると、なんとかこのまま逃げ切りたい、という人と、このままだと何か物足りない、どうせ長くもないのなら、思い切ったことをやってみたい、という人に分かれるような気がする。ほとんどの人は前者なのだが、光秀は「異例の出世を遂げた人」であるがゆえに、「もうワンランク上」にも自分ならいけるのではないか、と考えてしまったのかもしれない。

 しかし、不躾な言い方ではあるが、よく信長を討つところまでやり遂げたよな、光秀。本能寺は信長が滞在する場所としては無防備だったけれど、もし信長に光秀謀反を誰かが一歩先にリークしていれば、信長が危地を逃れることは可能だったはずだ。本能寺は、ずっと包囲されていたわけでも、山の上の城でもないのだから。光秀が本能寺で信長を取り逃がしていれば、あとはもうどう転んでも信長のワンサイドゲームだっただろう。せめて長男の信忠だけでも生き残っていれば……などと歴史のifは尽きないが、「本能寺の変」を成功させた光秀はただ者ではなかったのだ。ある意味、「史上最大の裏切り者」として、歴史に名を遺した、とも言える。悪名もまた、名なり、か。