じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

森喜朗さんの「巡り合わせの悪さ」には、少し同情してもいるのだ。

 もともと平日休みだった木曜日が祝日と重なってしまったため、ちょっと損したような気分だったが、子どもたちも休みだったので、久々に家でゆっくりゲームをして遊んだ。
 来年から小学生の次男とスイッチで『スマブラ』をやったのだが、連戦連敗。「まあ、羽生善治さんも、子どもに将棋を教えるときのコツとして『負けてあげてください』って言っていたものな」と最初は思っていたのだけれど、「負けてあげる」どころか、本気でやっているのに負けまくっている。けっこう悔しいが、次男がものすごく楽しそうなのをみて、これはこれで良いのだろうな、と思う。でも、いくつになっても、相手が自分の子どもでも、ゲームで負けると悔しいのがゲーマー気質、というものなのだ。そういえば、長男のときは「親が壁になって立ちはだかり、『やる気』を引き出す」みたいなことを考えていたんだよなあ。僕の親としての経験値も少しは上がったのかもしれない。今がスタートだったら、もうちょっと良い親になれそうな気がするのに。

 森喜朗さんは、結局、東京五輪組織委員会の会長を辞めるらしい。あの発言を、責任ある立場の人がするのは「救いようがない」としか言えないのだが、新型コロナの流行がなければ、東京オリンピックは予定通りの2020年に開催され、たぶん、森さんもこんなふうに晩節を汚すことはなかったはずだ。歴史には「危難の時代に巡り合ってしまったがために、適応力のなさをさらけ出してしまう人」もいれば、「苦難の時代だからこそ、必要とされ、その個性的・独善的なふるまいを許された人」もいる。チャーチルはドイツの攻勢に苦しむ第二次世界大戦中の英国だからこそ人々に求められた。スティーブ・ジョブズの死は早すぎたけれど、長生きしていたら、アップルで「老害」になっていたかもしれない。もともとパワハラ気質の人ではあったみたいだし。
 僕は自分が「乱世向きの人間」ではないと痛感しているので、森さんの「巡り合わせの悪さ」には、少し同情してもいるのだ。


遺書 東京五輪への覚悟 (幻冬舎文庫)

遺書 東京五輪への覚悟 (幻冬舎文庫)