じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

ハウステンボス売却と稲盛和夫さんの訃報


 もうすぐ夏休みも終わり。
 なかなか宿題をやってくれない次男に苛立つも、僕自身も夏休みの宿題をきちんと終わらせたことがない子どもだったことを思い出す。
 テレビゲームばかりやっていても、夏休みの宿題をサボっても、医学部に合格することは可能なのだ。ただし、そういう「面倒だけどやらなければならないことを日々やり続ける能力」が無かったのが、僕の限界だったのではないか、とも思う。でも、やれって言われても、やらないものはやらないんだよなあ。

 ハウステンボスがHISから香港の外資系会社に売却されるとのニュースが。僕にとってはディズニーランドやUSJよりもずっと身近なテーマパークで、音楽と共にヤケクソのように花火が乱舞する大晦日のカウントダウンとか、「インスタ映え」するイルミネーションとか、レトロゲームが置かれたゲームセンターとか、JRAの場外馬券売り場とか(ここに一番お世話になった)、思い出は尽きない。夜、ほろ酔いでオランダっぽい街を散策するのが好きだった。
 『オランダ村』が潰れてしまい、ハウステンボスがまだマイナーな番組だった『逃走中』の舞台になったのを見て、これはもう終わりかもな、街を作って別荘まで売り出したのに、と思っていたのだが、HISの辣腕で、花火やチューリップ祭りやイルミネーションなど、常設アトラクションの充実よりも、手間とイベントと雰囲気づくりで再生されたのは、近場で生活する者として嬉しかった。
 内心、もしハウステンボスが廃墟になったら、廃墟界のレジェンドとして有名スポットになるだろうな、とも思っていたのだが。

 HISも新型コロナやネットを使った個人旅行が主流になった影響を受け、厳しい状態が続いていると聞く。ハウステンボスに関しては、苦しい時に助けてくれてありがとう、と感謝したいし、外資でも構わないから、僕が生きている間くらいは、ハウステンボスに栄えていてほしいと願っている。

 夜、稲盛和夫さんの訃報を知った。京セラ、JAL再生、KDDIと、経営者として素晴らしい仕事をしてきた人だった。著書を読むと、「うーん、この時代に、こんな精神論や宗教がかった『経営理念』でうまくいくものなのか」と思ったのだが、カリスマというのは「正しいことをやる人」というよりは、「この人が言うことなら、とみんなのモチベーションが上がり、正解にしてしまう人」のような気がする。
 そもそも、組織のトップに立つような人は、大概、「それなりに正しい、あるいは正しそうなこと」をやろうとするものだ。
 
 稲盛さんのカリスマ性はごく一握りの人にのみ与えられた天賦の才であって、常人が人をまとめていくには「規律」を重視し、賞罰を厳しくしていくしかないのだろう。
 広島の佐々岡監督は「いいひと」なのだがカリスマ性も厳しさもなく、緒方監督は自分にカリスマ性が無いことを知っていて、徹底的に「規律」にこだわっていたと思う。

 中国春秋時代の名宰相、鄭の子産が後継者に言い残したとされる話がある。
「徳のある者だけが寛大なやりかたで民を服従させることができる。次善のやりかたは、猛しくすることである。火は烈しいので、民は遠くから眺めて畏れる。それゆえ、焼死するものは少ない。ところが水は懦弱であるから、民はそれに狎れて翫ぶ。すると水死者が多くでる。だから、寛大な政治はむずかしいのだ」
 これを聞いても、その後継者は、最初は「慈愛の政治で治めよう」としたそうだ。結果的にそれでは風紀が乱れてしまい、厳しい政治に切り替えることとなった。
 
 これを中学生の頃に読んで感銘を受けたはずの僕も、人に厳しくするのが苦手で、はっきりしない人生を送ってきたものなあ。
 優しいからじゃなくて、嫌われたくないから。でも、嫌われても関係ない人の顔色ばかりみて、大事な人を後回しにしてしまった。
 知ることは難しい。だが、それを実行することはさらに難しい。


fujipon.hatenadiary.com