じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

野田元首相の追悼演説を聞いて、少しだけ背筋が伸びた。

 給料日がやってきた。ものすごくお金に困っているわけでも、給料もらったら買いたいものがあるわけでもないのだけれど、とりあえず給料日前日に突然死したら怨霊になりそうなので、この日にたどり着くとホッとする。
 そして、ああ、次の給料日まで、また、あと1ヶ月になったのか、と思う。早く死にたいわけではないけれど、日常がめんどくさい。

 立憲民主党野田佳彦元総理の、故・安倍晋三元首相への国会での追悼演説の全文を読んで、目頭が熱くなった。
 野田さんは演説の名手として知られているそうなのだが、政治家としては違う道のりを歩いてきた二人の首相経験者が交差した時の話や、安倍さんの気配りや政治家としての功績を讃えつつも、政治家というのは、後世から歴史による評価を受けるべき存在であること(『銀河英雄伝説』みたいだな、と思った)、野田さん自身が、つい口にしてしまった安倍さんの体調を揶揄するような言葉への後悔、そして、あのような事件があっても、民主政治の政治家として、人々の前にマイクを握って立ち続けるという覚悟など、野田さん自身の「政治家としての矜持」も伝わってきた。僕の中で、野田さんの株はストップ高になったのだが、こういう高潔で誠実な人だったからこそ、民主党政権最後の首相になり、その後も立憲民主党で今ひとつ存在感を示せていないのだろうか、とも思う。声が大きい人、揚げ足取るのがうまい人ばかりがメディアに露出し、党内で存在感を高めていくのもまた「民主主義」なのだ。

 不特定多数の人の前に出る仕事、大勢の知らない人に会う仕事、頑張って仕事をやっても、結果がついてこない、あるいはうまくいかない人が出てくる仕事という面では、医者もそうだし、僕の記憶の中でも、逆恨みで命を落とした医者だっている。だからといって、人と接することは避けられない。さまざまな仕事で、多くの人が、リスクを引き受けて、日常を守っている。
 なんだかなあ、と思うことも多いのだけれど、野田さんのこの追悼演説を聞いて、僕は少しだけ背筋が伸びた。言葉の力って、すごいな、と感動もした。

 まあ、給料日だけが楽しみな50歳のオッサンが何を言っているのか、と自分でも思うが、人間は、邪心と理想が『スプラトゥーン』のガチマッチのようにお互いを塗りつぶしあっているものなのかもしれない。ああ、僕は邪心が圧倒的に優勢だ。
 少し久々に『スプラトゥーン3』をプレイしたのだが、自分と自分が所属するチームの弱さに悲しくなった。これは僕のせい、なのか……なんか僕の武器だけ命中率が低いような気がするんですけど……と、こんな年齢のオッサンが画面の向こうでイライラしているとは、きっと一緒にプレイしている人たちは想像もつかないだろうな。