平日休みの木曜日。大きな学会が行ける範囲で開催されているのだが、オンラインで少しだけ参加というか視聴した。
オンライン開催で便利になったのは間違いない。すごく助かっている。はじまった頃は、特例としてのオンラインだったが、今後は会場とオンラインの併用がデフォルトになる、というアナウンスがなされていた。コストが上がるので、ということで参加費の値上げとともに。まあ、今回はさておき、会場が少し遠くなれば交通費や宿泊費、移動時間もかかるわけで、値上げでもオンラインが常態化してくれるのはありがたい。とはいえ、僕の年齢と仕事内容を考えると、こうして専門医を維持していくのも、あと更新1回か2回くらいかな、とも思う。
学会出張って、忙しい病院で働いていると、数少ない、遠出をして、病棟から離れることができる機会でもあったのだよなあ。ご当地ラーメンを食べたり、夜にみんなで飲んだりするの結構楽しかった。病棟から電話がかかってきても、駆けつけなくても良いというのは半分気楽で、半分申し訳なかったが。
ネットで、セガの小玉理恵子さんの訃報を知った。
50代というのは、人が死んでもおかしくない年齢なのだ。ではあるけれど、小玉さんは若すぎる、というか、もっとゲームを作って、ゲームのことを語り続けてほしかった。
僕がまだ小中学生くらいの頃は、女性がゲーム制作に携わっている、というのはまだ珍しい時代だった。そもそも、ファミコンの初期の頃までは、「テレビゲームは男の子、それもインドア根暗男子か不良がやるもの」だったのだ。
小玉さんは、そんななかで、「広報とかではなく、ゲームを制作している、僕より少しだけ年上の女性」として、けっこう印象に残っている。
『ファンタシースター』『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』『セブンスドラゴン』。
セガ好きだった僕にとっては、どれも忘れられないゲームばかりだ。
かつて、「女の子がテレビゲームやるの?」って言われる時代が、確かにあった。
いまはどのゲームのスタッフロールをみても、女性のほうが多いくらいなのだが。
アントニオ猪木さんや仲本工事さんのような「子どもの頃からの大スター」が亡くなるのは、本当に寂しい。
だが、任天堂の岩田社長や飯野賢治さん、小玉さんのような「僕が長年ゲーム雑誌でその姿を見てきた人たち」の訃報には、身内・同志を喪ってしまったような、そして、もうそろそろ自分の番かな、僕は作品を残せない人生だったなあ、という切実な感慨を感じずにはいられない。思えば、僕の両親はともに50代で亡くなった。
小玉さんが作ったゲームとその記憶は、ずっと多くの人に残り続けるはずだ。
オリジナルの作品が遊ばれる機会は少なくなっていくだろうけれど、その遺伝子は、これからもずっと受け継がれていく。
テレビゲームも僕も、いつの間にか、こんなところまで来てしまったな。