じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

ジャン=リュック・ゴダール監督の「映画館での15分間と人生の91年間」

 月曜日から、かなり身体がきついなあ、と思いながら仕事。
 なんとか夕方まで頑張って、映画でも観に行くつもりだったのだが、夜に勤務先とは別の会議が入っていることが判明し、かなり落胆してしまった。
 まあ、久々に当たった新規公開株(IPO)のジャパニアスの初値が、予想よりずっと上だったし、会議の報酬も含めて、今日の僕はけっこうプラス収支だったはず、と自分に言い聞かせる。
 会議までの合間に書店に寄ってみたものの、今は小説は全部ウソに思えるし(まあ、ウソというか、創作ではある)、ノンフィクションは著者の自己満足のような気がしてしまう、という精神状態で、以前ほど本が読めない。そういう時期、なのか、これからどんどんひどくなっていくのか。

 ジャン=リュック・ゴダール監督が亡くなった。
 正直、まだ存命だったのか、とも思ったのだが。
 僕が子どもの頃から「巨匠」で「伝説的な存在」だったと記憶しているし、「名前は知っているけれど、作品は観たことがない映画監督」だったなあ。
 『勝手にしやがれ』くらいは観ておくべきなのだろうか、文学作品の「名作」も、いつか見るつもりでこの年齢まで読んでいないものばかりだ。
 『勝手にしやがれ』といえば、沢田研二の曲は、子供の頃によく聴いた。


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 91歳という享年には「そのくらい生きたのであれば」と思ったのだが、驚いたのは、ゴダール監督が「自殺幇助」で亡くなった、ということだった。
 それが正しいとか正しくないとかではなくて、「ゴダール監督らしいな」と。作品も観たことない僕に、そんなこと言われたくもないか。

 ゴダール監督は「映画は15分だけみればわかる」と公言していて、実際に冒頭の15分を見ると、映画館を出て次の映画を見にいっていたそうだ。
 僕の感覚では「映画料金がもったいなくない?」なのだが、ゴダール監督にとっては、それがベストの鑑賞法だったのだろうし、今のYouTubeなどの動画サイトでの「いきなりクライマックスを見せないと観客が離れてしまう世界」をインターネット誕生よりもずっと前に予言していたのかもしれない。
 むしろ、そんなふうに生き急いでいた人が、よく91年も我慢していたな、とは思う。
 あと、仕事とはいえ、ゴダール監督のような「レジェンド」を末期がんで苦しんでいる、とかでもない状況で安楽死させる役を与えられた医者は大変だな、とも。


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