じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

「いぬ、逃げる、さる」


 また月曜日。小学生のとき、3学期が始まる校長先生の全校集会での話のなかで、1月は「いぬ(往ぬる、行ってしまう)」、2月は「逃げる」、3月は「さる(去る)」という言葉が出てきたのを今でも覚えている。確かに、ついこの間紅白歌合戦を観て、『ポケットモンスター ヴァイオレット』を年始にクリアしたのに、もう1ヶ月以上経ってしまっている。歳を重ねてみると、人間というのは、人生の意外な、とくに大きな意味はなさそうな場面や言葉を、断片的に記憶しているもののようだ。
 
 ネットニュースで、「王貞治さんに756号のホームランを打たれた」ピッチャーの鈴木康二朗さんが2019年に亡くなっていたことを知った。
 僕自身は物心ついてからずっとカープファンなので、その場面にとくに記憶も印象もないのだけれど、いしいひさいちさんの『がんばれ!タブチくん』という野球漫画をアニメ化した映画で、事あるごとに「王選手に756号を打たれた鈴木さん」と言われてしまう、というネタは覚えている。小学生時代の僕は、かわいそうだな、と思いつつも面白がっていたのだが、鈴木選手は、「自分は逃げずに王選手と勝負したから記録になるホームランを打たれた」と、ずっと言っていたそうだ。確かに、プロの投手として実績も残し、打たれたら語り継がれてしまうであろう場面で王選手に立ち向かっていったのは、大人になって考えるとすごいことではある。しかし、亡くなってから4年くらい経って、その訃報を知るというのは、なんだか不思議な気分だ。
 少なくとも、2019年に亡くなられて以降は、本人はいなくても、それを知らない人にとっては「生きている(であろう)人だった」のだから。

シュレディンガーの猫」を思い出したのだが、あれも僕がちゃんと理解できている自信はない。
この日記を読んでいる人は、いま僕が生きて、存在していると思っているはずだけれど、本人はもう死んでいて、他人が書いていたりAIが自動生成していても、見抜くのは難しいだろう。

たぶん、僕は生きている、あるいは死んではいないと認識している人の中にも、故人はいるのではないか。
対面ではないコミュニケーションの進化は、「生きている」ことの概念を変えていくのかもしれない。
VTuberと匿名ブロガーの境界なんて、よくわからないし、声がある分だけVTuberのほうが「現実的」でさえある。

何もやる気がしない夜で、24時過ぎに就寝。


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