じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

坂本龍一さんの訃報と、その音楽、そして、晩年のこと。

 4月最初の日曜日。学校は春休みで子どもたちがちょっと羨ましくもあるのだが、春休みは4月に入るとけっこうプレッシャーを感じるようになるし、何よりクラスの顔ぶれや担任が変わる、年によっては通う学校すら変わるのが僕は凄く怖かった。怖くてテレビゲームをやったら、本を読んだりして現実逃避していたら、宿題を全然しておらず呆れられたものだ。単に遊ぶ理由にしていただけかも。

 4月最初のG1は、高松宮記念ヴィクトリアマイルNHKマイルカップと並んで、僕にとっては「当たる気がしない春のG1」のひとつ、大阪杯中山記念で強かったし、去年宝塚記念で2着だったヒシイグアス本命だったのだが、阪神競馬場ではやたらと馬券内に来るダノンザキッドと同枠だったので、7枠から総流しに、1、5、6枠のボックスという馬券を購入。ヒシイグアス、調教では馬体が細く見えたし、いまの阪神の馬場だと外枠は不利だし、当日はマイナス18キロだし、うーむ、という感じではあったのだけれど、同枠にダノンザキッドがいるからなあ、と、結局そのまま7枠から。先行馬が少ない、とくに今回はパンサラッサがいないことを考えると、展開が去年よりはかなりラクになりそうなジャックドールを本命に変えようかと思ったのだが、オッズを見て結局断念。結果的にはジャックドールが先頭を譲らず、ダノンザキッドが2着に粘ろうとするところにスターズオンアースが凄い脚で差してきて、最後はジャックドールをハナ差まで追い詰めたが届かず、という人気2頭のワンツー決着で、ヒシイグアスは前目につけて勝負に出たものの、あれで伸びないのは状態がやはりそんなに良くはなかったのだろう。前に行った馬が残り、スターズオンアースだけが差してきた、というレースで、レジェンド・武豊の勝負強さと秋華賞以来+先行有利の展開でここまで追い込んできたスターズオンアースの強さが印象に残るレースだった。スターズオンアース、近親のソウルスターリングが3歳秋以降は走らなかったので、早熟の可能性もある、と思っていたのだが(去年のエフフォーリアが記憶に新しいこともあり)、本当に強かった。ルメール騎手も、すごく悔しがっていたらしい。それにしても、武豊騎手が勝つとやはり盛り上がる。僕も武さんも若い頃は「同世代で活躍しまくっているけど、いい馬にばかり乗っているんだから当たりまえだよな」と妬みが入り混じった気持ちで観ていたのだが、今、50代になり、それでもトップ騎手として飄々と、ときにはユーモアたっぷりに競馬界の生きた伝説として活躍している武豊騎手をみると、「僕はこの人と同じ時代を生き、騎手としての活躍も苦闘していた時期も見てきたのだ」と、ちょっと誇らしいような気分になる。これは、羽生善治さんに対してもあてはまる。僕にはとうてい届かない遠い星にいるような人、ではあるけれど、人は、星をみて自分が進むべき方角を知ることができる。まあ、こんなことを書けるのも馬券が当たって、ちょっとだけプラスになったおかげでもあるのだが。

ちなみにレース直後にカープの野間の衝撃的な珍プレーをリアルタイムで観てしまい、抑肝散に手が伸びた。
 同点の8回裏、ノーアウトランナーなしのフルカウントで、よりによってヤクルトの村上にど真ん中を投げるピッチャー・松本も大概だし、打たれた瞬間、「あー、スタンド中段くらいには飛んだな」と思ったので、野間も強風とはいえ、ホームランだと思ったのかもしれないけどねえ。笑えるプレーは、笑える状況でやってくれ。10対0とかで勝っているか負けているのなら、ネタにもできたかもしれないが。

 夜、坂本龍一さんの訃報がSNSに流れてきた。報道されている病状や最近の残された時間を意識しているような活動をみてきたので、驚きはなかったが、子どもの頃に『い・け・な・い ルージュマジック』に驚かされ(坂本龍一さんが、無表情であの曲を演奏して、忌野清志郎さんに接近されていたのは、子供心にすごくインパクトがあった。しかし、今だったらあの曲炎上しそうだな……)、歌詞がある曲が苦手だった中高生時代は、『ラストエンペラー』『戦場のメリークリスマス』『シェルタリング・スカイ』などのサントラをよく聴いていたものだ。
 晩年の坂本さんの社会への積極的な発言には、ネットで批判も多かったけれど、あらためて思い返すと、そして、僕もそれなりに年を重ねてみると、「もうすぐ世界から去る人間として、次の世代に、あるいは子どもたちに、少しでも良い世界を残しておきたい」と願っていて、自分に残された時間の少なさをもどかしく感じていたような気がする。「電気がなきゃ命は守れない」なんてことを、坂本さんが理解していなかったとは思えないし。
 それでも、上がっている電気料金の請求書をみるたびに「原発動かしたほうがいいのかな」と僕は思ってしまう。
 東日本大震災のときは、もうお金なんて無くなってもいいから、自分と家族、そしてみんなの命を助けてください、と信じている神もいないのに祈っていたはずなのに。
 春は出会いと別れの季節、とは言うけれど、別れの割合が高すぎるよ。


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